レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ 働くクルマ4 バキュームカー

1950年代の川崎市のバキュームカー写真です。バキュームカーは1951年に川崎市開発しました。その川崎市バキュームカーの写真なのですが、トラックのデザインがおっそろしく古い。おそらく日本最古のバキュームカーの写真ではないでしょうか。 元ネタ写真はこちら→ https://ima.xgoo.jp/column/img2/jnhppp/170713_s17.jpg

前面写真もあります。

色はウ×コ色かと思ったら、オレンジ色だったみたいですね。

 

当時は

 

かつてのバキュームカーやってくると半径200mは物凄い臭いがしました。

子供の頃の私は世界一臭いもの!それはバキュームカーだって明言してました。

当時の子どもたちの反応は当然これです。

 

もう一台いってみましょうか。

今度は藤沢市のものです。

ぽっとん便所がなくなるにつれて数を減らし、今ではめったに見かけません。

昔はこれが来ると周囲100m四方は確実にとんでもなく臭くなりましたね。

「うわ~~!くっせぇ~!」って言うとバキュームカーのおっさんが激怒してウンコなすりつけに来ると子どもたちの間では言われておりまして、バキュームカーの前を通るときは息を止めてゆっくりと歩いてやり過ごし、おっさんが見えなくなったところで「うわ~~臭かったぁ!」っていいながら深呼吸したものです。

このバキュームカーが出てくるまでぽっとん便所をどうしていたかというと、肥桶を天秤棒で担いだお百姓さんが回収していました。

江戸時代からそのパターンだったみたいで、江戸時代は花魁とお殿様のウンコは高くて、街角の公衆便所は安かったそ...うで、高い花魁やお殿様のウンコをゲットしたお百姓さんは「ハイ、糞だ!ハイ、糞だ!」と掛け声も高く意気揚々と自分の田んぼまで天秤棒を担いでいったそうです。

転機マッカーサー上陸。日本の敗戦で占領軍として厚木基地についたマッカーサーが投宿したのが横浜のホテルニューグランド。そこで出たサラダがどうやって栽培されていたのかを知ったマッカーサーは顔色が変わりました。

以降、彼は化学肥料をせっせと普及させたのだとか。

それでも東京オリンピック以前は田んぼや畑の近くには結構肥溜めがあって、私より10歳ぐらい上の世代の方々の中には遊んでいてその肥溜めに落ちられた方もいらっしゃったと聞きます。

以上、ちょっと臭い昭和史でした。 

元ネタ写真はこちら→ https://digital.city.fujisawa.kanagawa.jp/material_image/resize_phot_koho_al0006p25_02.jpg