前回に引き続き、韓国の昔の鉄道でいってみましょう。
昔、釜山機関区に勤務していた姜鍾徹さん(故人)というご老人にいただいた白黒写真を
カラー化してみました。
朝鮮戦争のとき、米軍が軍用の小型ディーゼル機関車を持ち込んだところ、SL4両分の仕事をすると評判になり、停戦後の韓国ではアメリカから電気式ディーゼル機関車を次々と導入しました。
これもそのうちの1両。
黒地にオレンジラインのこれらの機関車を韓国の鉄ヲタはホランイ(虎)と呼んでいましたが、私はクマンバチと呼んでいました。
クマンバチは正しくはオオスズメバチ。カラーリングがもろに黒とオレンジでしたからね。
お次は1969年に登場した当時のセマウル号。
当初は「観光号」なる名称でした。
似而非カラーシステムの限界が露呈していますね。
帯の色が海老茶色になってますが、本当は青です。
新幹線0系のカラーを模したものでした。
こちらは湖南線セマウル号運転開始時の写真。やっぱり色が変ですね。
こっちが本当のカラー。初めて鉄道ジャーナル誌でセマウル号を見たときは興奮しましたよ。
特急ときの中間車サハ180が0系塗装にされて、同じ0系色のアメリカ型機関車に牽引されているんですから。
ずらりと並ぶキノコ型クーラー、食堂車は夜行急行客車列車のビュッフェだったオシ16の屋根をこだま型ビュッフェのモハシ180にした感じ。
面白すぎて写真を撮りたい!乗りたい!ってなっちゃいました。
それが韓国語を学んだきっかけでした。
当時の韓国は軍政時代で鉄道写真は許可制。
英語でMay I take this train's photo?なんていってもNo!って断れそうでした。
そこで韓国語で「私は日本人鉄道マニアです。この車両を大変に気に入りました。観光記念に写真を撮らせてください!」
そういえばOKが出るだろう。
それで韓国語を初めてズブズブですからね。
本まで出したし。
特急列車の次は昔の鈍行列車に行ってみましょう。
1961年撮影の東海南部線の鈍行列車。
窓の大きい軽量客車が使われていました。
最後にフルカラーの1993年撮影の鈍行列車ピドゥルギ号の写真をお目にかけましょう。
編成の真ん中あたりに東海南部線の客車と同じのが入っています。
今は車内販売さえないですが、かつてはセマウル号とムグンファ号に食堂車が入って、弁当の車内販売もあって韓国鉄道旅行はとても楽しかったのを覚えています。