レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界9 関釜連絡船と関釜フェリー

前回は飛行機だったので、今回は船で行っていましょう。

日本と韓国を結ぶ船といえば関釜フェリーです。

戦前は1905年から太平洋戦争終戦の1945年まで下関から釜山まで鉄道省が運航していました。

最初期は鉄道省ではなく、その前身の鉄道院でしたが。

京釜線と接続していて、京釜線で列車遅延があると遅れを取り戻すため、SL列車が限界いっぱいまでスピードを上げて走り、釜山港の埠頭にある乗換用ホームの手前で急ブレーキをかけて止めるというアクロバットな運転をしたそうです。

 

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 こちらが当時の絵葉書です。

白黒写真に手彩色のものですね。

釜山駅と連絡通路でつながっていた釜山桟橋駅。

一般の列車は釜山駅のホームに入りましたが、関釜連絡船に接続する特急あかつき号や急行大陸、興亜などは向かって左手のホームに入線しました。中央右手には関釜連絡船の姿も見えます。

では当時の船をご覧いただきましょう。

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最初の船は興安丸。

7000tのかなり大きな船です。

1937年1月31日に就航、1945年6月20日に運航を停止しました。

戦後はしばらく引揚船として使われました。

保存の要望が強かったのですが残念ながら1970年に期待されてしまいました。

 

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お次は金剛丸。

興安丸の姉妹船です。

1936年11月15日就航、1945年5月27日に機雷に接触して座礁しました。

1946年7月に引き上げられ、朝鮮戦争時にアメリカの傭船となりました。

1951年10月26日、釜山から佐世保へ向かう途中風で五島列島沖で座礁し、運行不能となったため1953年に解体されました。

 これら大型船が就航する以前は航路開設時に登場した壱岐丸、対馬丸、高麗丸、景福丸などの船が就航しましたが、いずれも金剛丸の半分にも満たない小さな船でした。

戦後は1965年に日韓の国交が樹立すると関光汽船日本郵船商船三井などが出資し、関釜フェリーとして1970年6月から運航を再開しました。

 

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 運航開始時の船がこちら。3,875tのそれほど大きくない船でしたが、1976年まで運航し、5000トンクラスの阪九フェリーの中古船と交代しました。

2代目関釜フェリーは1984年まで運航されました。

3代目関釜フェリーはやはり阪九フェリーの中古船で1998年まで運航していました。

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 現在は4代目のはまゆう((国内)7,747 トン(国際)16,187 トン)が1998年から運航を続けています。