日本のかつてあったメガキャリアとして忘れてはならないのがJASことに日本システム。
今回の似而非カラーシリーズはその東亜国内航空の前身の一つであった日本国内航空の飛行機をご紹介します。
YSー11
東亜国内航空のルーツは1952年から1953年にかけて設立されたローカル便の航空会社である日東航空,富士航空,北日本航空の各社です。
これらが日本政府の指導で1964年に合併して日本国内航空になりました。
この日本国内航空、さっそくボーイング727やコンベア880などジェット機を導入し始めましたが、新幹線や先行したJALやANAと競合し、一時赤字となり、日本政府はJALとの経営統合を目指します。
しかし、日本国内航空は経営を持ち直し、1967年に黒字となったところから、政府は方針を変え、東亜航空との合併計画を進めました。
こうして1971年に東亜国内航空となりました。
翌年の1972年、政府は事業割り当てでJALには国内幹線と国際線、ANAには国内幹線とローカル線、東亜国内航空にはローカル線の便を割り当てました。
こうして日本の空はメガキャリア3社体制となりました。
その後1980年代中ごろに日本政府は航空行政の規制緩和を行い、東亜国内航空は1988年に東京ーソウルの国際線に参入します。
ところが、「東亜」という社名が大「東亜」共栄圏を連想させて甚だ具合が悪いということで社名をJASこと日本エアシステムに変更したのです。
しかし日本エアシステムは採算の取れない赤字ローカル線を抱えていたうえ、2001年のアメリカ同時多発テロで乗客数が減ったため経営難になりました。
そうしてJASは2002年にJALに吸収されて姿を消したのでした。
さて、YS-11ですが1962年に初飛行をした日本最初の国産旅客機で、ターボプロップ機です。
つまりジェットエンジンでプロペラを回すプロペラ機ですね。
そして民間航空会社で最初にYS-11を就航させたのが日本国内航空でした。
導入されたのは羽田ー徳島・高知線でした。
東亜航空を吸収して東亜国内航空となった日本国内航空は日本でYS-11を最も多く保有する航空会社となり、最盛期には40機ものYS-11が稼働していた。
東京ー南紀白浜便が最後となった。
その後YS-11は1988年に日本エアシステムから鹿児島発着路線ごと日本エアコミューターに移籍、2006年まで運航を続けたのでした。