1958年11月1日、画期的な特急が誕生しました。
「ビジネス特急こだま号」です。
当初の編成はクハ、モハ、モハシ、サロという3等先頭車、3等電動車、3等電動車・ビュッフェ合造車、特別2等付随車の4両を一組として背中合わせに連結した8両編成でした。
最高時速110キロと客車列車より速く、東京ー大阪間を当初は6時間50分、その後6時間40分、30分とスピードを上げて行き、子供たちのあこがれの電車となりました。
1959年には12両編成に増結し、1960年には客車列車のつばめ号、はと号をつばめ号に一本化した上で共通運用となりました。
こちらがつばめ号と共通運用になってからのこだま号の姿です。
本来は臙脂色と肌色がかったクリーム色なのですが、似而非カラーだけにちょっと色むらになってしまいました。
展望車と食堂車をつないだ客車特急を電車特急に置き換えるということで、展望車の代わりとなるパーラーカーと食堂車が加わりかなり豪華なものとなりました。
ここで内部の様子を1960年に日本国有鉄道が発表したカラーパンフレットの写真を使って紹介します。
この応接間のような部屋はパーラーカーの区分室。ソファーが向かい合わせになっています。
続いてパーラーカーの開放室。
一人掛け回転式のリクライニングシートが2列並んでいて、今日の新幹線でいえばグランドクラスに当たります。
こちらは特別2等車。ただし1960年7月1日に従来の1等車と2等車を統合して1等車とし、従来の3等車を2等車とする2等級制に移行したため、1960年6月にパーラーカーが登場してからわずか1か月で1等車と呼ばれるようになりました。
2人掛けリクライニングシートが2列並ぶ4列シートです。
現在のグリーン車とほぼ同じスタイルです。
こちらは登場時の3等車。1960年6月から2等車となりました。
今の特急普通車です。
リクライニングはなく、進行方向向けの2人掛け回転式転換クロスシートで背もたれの後にはテーブルがついています。
こちらは食堂車。4人掛けのテーブルを10脚備え、定員40人。
電車なのでレンジは電気レンジで石炭は使いません。
勘定台には臙脂色のL型のアクリル板の飾りがついてお洒落な感じになりました。
1962年に登場する特急とき用食堂車も同じデザインが採用されています。
こちらはビュッフェ。トースター、コーヒーメーカー、電気コンロは装備されていましたが、電気レンジや電子レンジは装備されていなかったため、温かい食事は作れませんでした。
食堂車登場後はほぼ売店車扱いで、その辺は0系新幹線の食堂車が登場した時と状況は似ています。
1961年には富士、はと、おおとり、うずしおが新たに登場し、ビジネス特急こだま号グループは東海道・山陽本線の花形となりました。