レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ 日本の特急5 星の寝台特急ブルートレイン

昼行特急の近代化はビジネス特急こだま号からスタートしましたが、寝台特急の近代化はブルートレイン20系客車からスタートしました。

最初のブルートレインは1958年10月1日に東京ー博多のあさかぜ号として登場しました。

建築限界いっぱいまで断面を広げた張殻構造の軽量客車で防音・断熱性に優れた固定編成の客車はこれまでの客車つばめ号ははと号とは大きく異なっていました。

ドアは自動化されておらず、折戸はすべて手動。

実は寝台車に1両ずつ列車ボーイこと車掌補が乗務して彼らがドアマンの役割をしていました。

列車ボーイは寝台のセット、解体、早朝に降りる乗客を起こす役割もしていて、亡父は朝早く起きるときはボーイにチップを渡して起こすよう頼んでいたとよく言ってました。

列車ボーイは後継モデルの14系、24系が登場し、寝台のセット、解体が自動化されると廃止され、専務車掌へと転身してゆきました。

そのデビュー当時のブルートレインあさかぜがこちら。

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 後ろ姿です。ここでは最後尾の車両は電源車といって車内用サービス電源を発電する大型発電機を積んでました。

反対側の車両は車端の半分が展望室、あと半分が車掌室になっていました。

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 こちらは機関車側。写真は東京ー長崎間のさくら号ですが、当初は裾だけクリームに塗られた紺色のEF58が下関まで牽引していました。

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 下関から門司までの関門トンネル区間は1961年に門司港-久留米が交流電化した際にステンレスボディーで銀色のEF30形機関車が登場しますが、それまでの間はやはりステンレスのボディーを備えたEF10形という機関車が牽引していました。

また、この時代、山陽本線は姫路までしか電化されておらず、姫路から下関までは写真のようにC62牽引でした。

まるで銀河鉄道999です。

上りは瀬野ー八本松の急勾配はC62単独では通過できませんでした。

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 そこで後補機として列車のおしりに繋がれたのがこのD52。

山陽本線でSLに付け替えず、直流電気機関車で下関まで直通できるようになったのは1964年10月のことでした。

この東京からの機関車はより強力なEF60に置き換わっています。

九州島内のSL牽引はかなり遅くまで残っていて1970年ごろまで活躍していました。

今度は豪華な車内へと目を移してみましょう。

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 のちにA寝台となる1等寝台車は個室寝台と解放式寝台に分かれていました。

個室寝台はルーメットといって昼間はソファーで夜はほぼシングルベッドサイズの広い寝台となります。

ソファーの色はチョコレート色っぽく見えますが、本当はモスグリーンです。

この辺の色のずれは似而非カラーのご愛嬌ということで。

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 こちらは解放式寝台。

昼間は大柄なボックス席ですが、夜は広々とした2段ベッドが左右に並んでいました。

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 のちにB寝台となる2等寝台は寝台幅52cmのものが三段。

おっそろしく狭くて、蚕棚などと言われていました。

ブルートレインが寝台専用列車になったのは1968年のことで、それまでは座席車も連結されていました。

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こちらは1等座席車。いまでいうグリーン車

ビジネス特急こだま号と違って天井が高いのが特徴的でした。

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 2等車、つまり普通車はこちら。

こちらも座席はビジネス特急こだま号と変わりはありませんが、天井が高いです。

ブルートレインには今の特急とは違い、食堂車も連結されていました。

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 初代ブルートレイン20系の食堂車は日本車両日立製作所の競作でした。

こちらは日立製作所の作った食堂車。

黒いクーラーダクトにシルバーの勘定台仕切り。アイボリーの壁、チョコレート色の背もたれの椅子。

斬新でおしゃれでした。

食堂車に電気レンジが導入され、石炭レンジが廃止されたのはこのブルートレインからです。

ビジネス特急こだま号の食堂車は1960年に登場しましたから、電気でステーキが焼けるようになったのは1958年登場のこの食堂車が最初です。

東京発20系ブルートレインは最盛期には次の列車で運行されていました。

あさかぜ1号 東京ー博多

あさかぜ3号 東京ー下関

出雲     東京ー大社

さくら    東京ー長崎・佐世保

瀬戸     東京ー宇野

はやぶさ   東京ー西鹿児島鹿児島本線経由)

富士     東京ー西鹿児島日豊本線経由)

みずほ    東京ー熊本

そのほか20系ブルートレインは大阪発のあかつきやつるぎ、上野発のはくつるゆうづる、北星、北陸などがありました。

20系ブルートレインは1978年の1月の終わりに老朽化を理由に24系25形に置き換えられたのを最後に急行寝台車に格下げされました。

後継車両が実用一辺倒で武骨だったのに対し優雅なそのスタイルから初期には「走るホテル」というキャッチフレーズが付いていました。

JRに移行してから寝台特急は電車化されたサンライズ瀬戸サンライズ出雲を除いて廃止されましたが、東京から大分、別府など東九州に向かう交通機関が航空機だけになってしまい不便でしょうがありません。

時代の趨勢から復活するとしたら電車列車となるでしょうが、もう一度ブルートレインにカムバックしてもらいたいと思うのは私だけではないと思います。