こだま型電車を地方にという動きは山陽本線でもありました。
1961年の時点でこだまは2本のうち一つは東京ー大阪、もう一つは東京ー神戸、つばめは2本とも東京ー大阪、はとも東京ー大阪、富士は宇高連絡船接続特急で東京ー宇野、その折り返し列車のうずしおは大阪ー宇野、おおとりは東京ー名古屋という陣容でした。
翌1962年6月に山陽本線が広島まで電化されるとつばめ号2本のうち1本が広島まで延長されて、なんと900キロ近いロングラン運転になりました。
広島の手前には瀬野ー八本松の峠があったので、そこは広島発の上り列車のみ補機を付けました。
そうして1964年10月1日、東海道新幹線が東京ー新大阪で運航を開始します。
これによりビジネス特急こだま以下東京ー大阪の在来線特急は1964年9月30日を最後に全廃となりました。
こうなると150両もあった151系は行き場を失ってしまいます。
全車パワーアップ改造をして181系とした上で、30両は特急とき増発用にされ、残りの120両は山陽本線の特急で使うことになりました。
つばめとはとは運行区間が大きく西にずれて新大阪ー博多の特急となりました。
直流のこだま号の電車では走れません。そのため、トンネル入り口の下関で電気機関車に加え、交流区間のサービス電源を供給する電源車サヤ420をつないで機関車に牽かれて九州に入ることになりました。
九州に乗り入れない山陽本線のみの列車として新設された列車もありました。
しおじ
東海道新幹線開業で残されたこだま号の編成を使って新大阪ー下関に新設された列車です。当初はこだま号の編成そのままでしたが、一等車の利用が少なかったため、12両編成だったのを1等車1両を減らして11両編成にしました。
またパーラーカーの利用も少なかったところから1966年から67年にかけて開放室の一人がけ回転式リクライニングシートを二人がけ2等車座席に交換し、クロハ181としました。
つばめ、はとと共通運用でしたが、九州に乗り入れないので下関で電気機関車と電源車をつなぐことはありませんでした。
1961年に特急富士の間合い運用で運行を開始した大阪ー宇野の宇高連絡船接続列車がそのまま新幹線岡山開業まで運行を続けていました。
車両はつばめ、はと、しおじと共通運用。
ゆうなぎ
うずしおの姉妹列車で新大阪ー宇野で運行していました。
元々は特急富士で、新幹線開業で東京ー新大阪を廃止して残った区間の列車にゆうなぎと命名。
「富士」という列車名はブルートレインに提供しました。
1968年にうずしおに改名したので、ゆうなぎとして走ったのはわずか4年でした。
しおかぜ
1965年に新大阪ー広島に2往復新設された列車で、1968年にしおじに統合されました。
なお、つばめ、はとは1965年に雷鳥号と同じ481系が製造、配備されると、181系の直流車での運行はなくなり、機関車の連結なしに直接新大阪と博多を結ぶようになりました。
つばめ、はとをお役御免になった181系で新たに運行を開始したのがこのしおかぜでした。
1968年からは余剰の181系は少しずつとき、あずさ、あさまに転用され、1972年の山陽新幹線岡山開業で残りの車両も順次しずつとき、あずさ、あさまに転用され、1973年10月のダイヤ改正で旧ビジネス特急こだま号用車両はすべてとき、あずさ、あさまになりました。
その際に寒冷地で運行することを考慮して耐寒耐雪化改造され、クロハ181もあさま用はクハ180、とき、あずさ用はクハ181に改造されました。
こうして山陽本線からかつてのビジネス特急こだま号用電車は姿を消したのでした。