こだま型電車とブルートレインの登場で国鉄の偉いさんは思ったんですね。
こだま型は夜になると車両基地に帰ってきて休んでいる。
ブルートレインは夜は稼働しているけど、昼間は車両基地で休んでいる。
昼も夜も走る。
まさに24時間働けますか?って特急が欲しいよねって。
人間が相手ならブラック企業の世界ですけど、特急電車ならこんな効率のいいことはない。
で、作っちゃったんです。
昼間は座席指定特急として走り、夜になると夜行列車に化ける寝台特急を。
それが581系電車でした。
足回りは交流直流両用の481系で行く。
分割併合に対応できるように貫通扉を付けました。
でもそうなるとボンネットに収めていた車内サービス電源用大型電動発電機とエアコンプレッサーが邪魔です。
そこで、運転室と客室の間に機械室を設けてそこに収めました。
客席は昼間はボックス席、夜は2等寝台(B寝台)にセットできるようにしました。
こんな車内です。
夜はボックス席の椅子が下段寝台になり、網棚の上と下に中段と上段の寝台が格納されていました。
1等寝台は昼間1等座席(グリーン車)にするのは難しいので当初は2等寝台と食堂車だけ。
12両編成3本と故障時に使う予備車8両が作られ、1967年10月のダイヤ改正でデビューしました。
1等座席車は1968年の増備で登場しました。
昼間の列車は新大阪ー大分の特急みどり。
夜の列車は新大阪ー博多の特急月光です。
配属は南福岡電車区。
運用は南福岡電車区でベッドメーキングして上り月光として博多を19時45分出発。
新大阪に5時45分に着くと野洲電車区で寝台を解体して、9時30分に下り特急みどりとして新大阪を出発し、大分に19時35分に到着。
大分で一晩休み、翌朝の9時30分に上りのみどりとして新大阪に19時47分に到着。
野洲電車区で寝台をセットして23時30分に下り月光として博多に向かう。
博多到着は9時20分。
これで一つの運用になっていました。
寝台のセット、解体が複雑で列車ボーイがホームや走行中にできないという問題もありましたが、効率が良いということで1968年には東北本線にも導入されました。
東北本線用のときは電動発電機の小型化に成功したため、発電機とコンプレッサーを床下に持っていき、機械室は廃止。
電源は直流、交流50Hz、交流60Hzの3電源方式に改良され、型式名も583系となりました。
こちらは昼ははつかり3往復、夜ははくつる1往復、ゆうづる2往復でスタート、1972年にゆうづるを3往復に増やし、昼行列車ははつかりのほかにみちのく、ひばりにも使うようになりました。
こちらは似而非カラーではなく、以前北海道旅行をした際にカラーフィルムで撮影したものです。
常磐線回りで上野と青森を結んだ特急みちのくです。
車内はこんな感じでした。
普通車車内がこちら。
グリーン車はこんな感じで天井が高いのが印象的でした。
月光用のもグリーン車はこんなのです。
食堂車も天井が高かったです。
別の日には運転士さんが気を利かせて運転台を特別に撮らせてくださったことがありまして、その時の運転台の写真はこちらです。
こうして一時期は国鉄のエースだった寝台特急電車でしたが、のちになってボックス席が利用者からだんだん敬遠されるようになった上、昼も夜も酷使されたため傷みがひどくなり、1980年代になると急行格下げやローカル線用電車への改造が次々とおこなわれて特急寝台車の運用は1984年に終了したのでした。