レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

ラジオはHAPPYな友だちで〜す!8 かぜ耕士のタムタムタイム

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(写真はタムタムタイムの単行本)

ボッテッ、ボッテッ!

「ねぇ!かぜさん、聞いてよ〜!」

30秒間流れるリスナーからの声のメッセージ。

最初の太鼓の音。

これはトムトムというドラム。

英語でタムタム

番組のタイトルです。

木曜日の深夜に流れるタムタムタイムの「たむたむ発言何でもしゃべろう30秒」コーナーです。

留守電に録音されたメッセージの中で面白いやつを流していました。

「かぜ耕士のタムタムタイム」

1973年4月から1978年3月までニッポン放送午前0時10分から20分のラジオ番組。

これが終わるとコッキーポップでした。

関西では朝日放送のABCヤングリクエストの一コーナー。

1978年4月からは北炭生とかいう聞いたことのないフォークシンガーとパーソナリティが交代しましたが、つまんなくなりましたね。

因みにかぜ耕士は永六輔の下で修行した放送作家です。

コッキーポップまで他局にダイヤル回してましたよ。

人気がなかったんでしょうね。

番組開始から1年ちょっとでタムタムタイムは終了しました。

何でもしゃべろう30秒以外のコーナー以外には、お便り読みっぱなし、ポエムコーナー、自作自演の歌なんてェのがありました。

自作自演の歌は自分のポエムにメロディーつけて歌ったカセットテープが送られてくるんです。

人気が出て、アマチュアバンドにカバーされた曲もあったようですが、ヤマハポプコンに応募して、賞をもらった曲まではなかったようでした。

ポエムと自作自演の歌の楽譜は番組の単行本「各駅停車の青春に」とその第二弾の本に収録されています。

リスナーからの投稿はイルカや中島みゆきのとこに来るようなドジ話、笑い話も勿論来ていました。

加えて、イジメや校則、理不尽な教師の叱責、体調が悪いときでもお年寄りに席を譲らなくとはならないか?みたいなマナー問題など学生を取り巻く社会問題の投稿もありました。

それに他のリスナーがレスを付けて、週の終わりぐらいにかぜ耕士が話をまとめて、意見をつける。

まるでラジオのホームルームみたいでしたね。

パーソナリティはリスナーの交通整理係なんてかぜ耕士が言ってました。

今ならネットの掲示板かSNSのコミュニティがやっているようなことを放送局がプロバイダー、かぜ耕士がポータルになってアナログでやっていた感じです。

インターネットがない時代だからこそ成立したような番組でしたね。

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(ブームになったなんちゃっておじさん)

中でも盛り上がったのは「なんちゃっておじさん」でした。

鶴光がオールナイトニッポンでコーナーを作って、直後にタモリも取り上げて、どっちが元祖かって大騒ぎになりました。

ホントの元祖はタムタムタイムですよ!

ペンネームさだまさこを名乗る女子高生の投稿が元ネタで、それを嗅ぎつけたオールナイトニッポンの宮本ディレクターが火をつけたんですよ。

え?「なんちゃっておじさん」を知らない?

概略を説明しますね。

満員電車に変なおじさんが乗って来て、大声で愚痴を言う。

車内がおじさんをガン見する。

するとおじさんが変なポーズで一言。

「な〜んちゃって!」

次の駅でおじさんは降りて、あとの人は呆気に取られる。

これに対し、みんな尾鰭をジャンジャンつけて都市伝説にしたという訳です。

かぜ耕士はタムタムタイムを降板すると1978年4月から文化放送のセイヤングに移ります。

セイヤングはオールナイトニッポンの裏番組で私は聞いてませんでした。

そして1980年7月。

かぜ耕士はオールナイトニッポン木曜日第二部のパーソナリティとしてニッポン放送に帰ってきます。

番組は1981年10月まで続きました。

内容はほぼタムタムタイムみたいな感じでしたが、癌に倒れた少女の話は凄かった!

最初は父ちゃんのポーが聞こえるって吉沢京子の映画みたいな闘病モノの話でした。

ところがですね、少女の病気が癌だって、両親が隠して、すぐ治るって嘘をついていたのね。

で、いまわの際で少女が言うんだ。

「謀ったな!」

コエ〜よ!

最後ホラーじゃん!

出るってもう。

かぜ耕士は何でも包み込んでくれる気さくな兄貴でした。

だから、重い相談がバッサバッサ来たのね。

最後は疲れて辞めますみたいになっちゃいました。

あの時代にニッポン放送お得意のおちゃらけ路線を突っ走らず、社会派に行った貴重なラジオスターでした。