(滝良子)
1976年から1984年までの日曜日の夜、熊本放送出身のフリーアナウンサーである滝良子さんがやってた番組です。
当初は夜9時から1時間でしたが、1977年4月からは夜11時から1時間に放送時間が変わりました。
オープニングテーマはTinnaのシャイニングスカイでした。
ただ、この曲は1979年リリースなので、それ以前はカントリーミュージックだったような気もします。
その辺りはイマイチ覚えていません。
当時の主なコーナーは思い出の一曲とか、特定アーティストや特定テーマを特集するスペシャルフライトとか初めて夢中になったアイドルとか。
コーナーだけ並べてみると音楽番組なんですよ。
でも、ムッシュかまやつみたいに曲やアーティストの裏話とかありません。
ギャグもいいません。
じゃあ何?
この番組の正体は音楽番組の皮かぶった旅番組なんですよ!
(番組放送当時のANAジャンボ機)
来る葉書、来る葉書、みんな旅行がらみ。
スポンサーは天下のANA。
旅の思い出話。
(ビッグスニーカー号)
ビッグスニーカー号乗車体験記(ANAのパッケージツアーが、「スカイホリデー」、ツアーバスの名称がビッグスニーカー号)。
なんちゃっておじさんみたいな変な人の話題だって旅がらみ。
飛行機の隣席の人やユースホステルで一緒だった人の珍人ぶりを披露するとか。
飛行機の話はよく出ましたが、鉄道は話題になりませんでした。
やっぱりスポンサーが国鉄でなくANA(当時は全日空って言ってました)だからですかねェ⁈
(番組終了後、北海道では富良野エキスプレスを利用したビッグスニーカー号も運転された)
あと、地方の変わった風習も取り上げられましたね。
今でも覚えているのは「ろうそく出せよ」!
(北海道の奇祭・ろうそく出せよ。またの名をろうそくもらい)
北海道で7月7日の七夕か8月7日の月遅れの七夕の夜、子供たちが集まる。
「ろうそく出せ、出せよ!出さないと引っ掻くぞ!」
歌いながら集落の家々を回ってろうそくとお菓子を貰う祭。
エ? 日本にもハロウィンの風習があったの?って大騒ぎになりましたよ。
多分騒いだのは留学やホームステイを経験したようなバタ臭い人たちでしょうね。
昭和時代はアメリカのハロウィンなんてほとんど知られてませんでした。
だから、普通の日本人はアメリカでもろうそく出せよ!みたいなお祭りがあるんだ!ってそこでもビックリ!
母が北海道出身だったから念のため聞いてみたら、「そういえばやってたわね!」だって!
そら豆さん(滝良子のあだ名。昔どっかの局でつけられたのをまんま愛称にしてました)はろうそく出せみたいな地方の風習やお祭り、旅の思い出話を、ホント、楽しそうに話すんですよ。
たぶんかなりの旅行好きと見てます。
そういえば、そら豆さんが入院か海外滞在でいない場合は森山良子さんが呼ばれてピンチヒッターになってました。
森山さんの話、あのぉあのぉと音楽ばかり。
で、ついたあだ名が「あの豆」ですよ。
なかなか上手いネーミングですね。
私は「韓国の鉄道」を始めとして単行本や雑誌で列車追跡ルポなどの紀行文を発表しました。
お手本としていたのは鉄道紀行文の家元たる宮脇俊三と種村直樹という両巨頭プラスそら豆さん。
紀行文を書くときはいつも頭抱えて、ここは宮脇さん、種村さん、そら豆さんならどうする?
……っていつも自問自答しながら書いてました。
私にとってはそら豆さんはしゃべる旅行雑誌そのものでしたね!