レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

ラジオはHAPPYな友だちで〜す!18 ラジオ韓国KBS国際放送

この思い出のラジオ紹介、これまでニッポン放送文化放送、TBS、ラジオ関東ラジオ大阪と国内放送と紹介してきましたが、今回は玄界灘を越えます。

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(KBS日本語版の集合写真。後列右から二人目がキム・ソンスチーフ、3人目が本田雅嗣。前列一番右がキム・ヘヨン、右から二人目がパク・スーヒャン。)

「ラジオ韓国KBS国際放送」

今のKBSワールドラジオです。

海外放送なんて短波だろ?

短波ラジオ持ってなかったよね?

 

実はですね、ラジオ韓国KBSは短波と同じ日本語番組を中波でもやってたんですよ!

周波数は1170kHzと891kHz。

今は1170kHzだけですけどね。

 

海外向け韓国語放送の周波数を2時間ほど割いて放送していました。

当時はラジ韓って呼んでましたね。

 

なんでラジ韓を聴くようになったかって?

社会人になってまもなく、一人韓流ブームを起こしたから。

鉄道雑誌でセマウル号の記事を見たとき、乗り鉄撮り鉄、食べ鉄を韓国でしたくなりました。

でも、その頃の韓国は軍政末期で、職員に許可を撮らないと不審人物扱いされる怖いところでした。

なんとかするためには……ひらめきました。

まずは韓国語を勉強しよう。

韓国行って、セマウル号を撮るときは韓国語で訴えかけよう。

「私は日本の鉄道マニアです。セマウル号が好きです。韓国記念に写真を撮らせてください」

この作戦は成功しました。

留学、韓国嫁をもらう、本を出すっておまけもつきました。

 

当時はインターネットもなければ、韓流ブーム以前です。

韓流映画なんて誰も見ませんでした。

 

韓国情報、どうやって集める?

 

その頃京橋にあった韓国書籍専門店の三中堂と共に貴重な情報源となったのがラジ韓でした。

 

聴いていたのは1987年から1994年ぐらいです。

 

当時のアナウンサーで今でも顔を思い出すのはキム・ソンスチーフ、本田雅嗣さん、パク・スーヒャンさん、キム・ヘヨンさんの4人です。

 

キム・ソンスチーフは東京乾電池ベンガルみたいな地味な韓国顔のオッチャンなんですが、声がNHKからTBSに引き抜かれていった往年の名アナウンサーの森本毅郎みたいでした。

本田雅嗣さんは牟田悌三の髪を真っ白にしたような風貌で夏はいつも白い麻の韓服を着ていました。

ラジオ大阪のアナウンサーで時々大阪弁が飛び出してました。

ラジ韓では校閲委員といって、日本人のベテランアナウンサーか放送記者を雇って韓国人アナウンサーの日本語をチェックさせていたんです。

本田さんがその校閲委員でしたが、ダメ出しはまぁなかったですね。

みんな上手いから。

キムソナの日本語みたいなもので。

親が商社の駐在員で家族で長らく日本に住んでましたみたいな帰国子女を集めていましたからね。

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(パク・スーヒャン。なんとベリカードに彼女のポートレートが入っていることもありました。当時のKBSのアイドル。その後結婚されてアメリカに渡りました)

またの名をスーちゃん、バンビさんともいっていたパク・スーヒャンさん、セミロングで目がクリッとしてて、小顔で耳が大きかった。あのルックスでバンビかな。

私と同い年。

ヘヨンさんことキム・ヘヨンさんは別名コアラ。

私より一個上。

同世代の二人にキャンディキャンディの単行本を貢ぎ物として持って行ったら、キャーキャー喜んじゃって、しばらく仕事をほっぽり出しちゃったことがありましたなぁ。

私の世代の女子はキャンディキャンディとベルばらは鉄板やなぁって思っちゃいましたよ。

 

あ、ラジ韓の番組ね。

 

韓国の国内ニュース、お便りコーナーの「玄界灘に立つ虹」、韓国のトレンド紹介の「アンニョンハシムニカ、ソウルです」、本田さんの「韓国の旅」。

他に韓国語講座や料理コーナーなんかもあったと思います。

 

玄界灘に立つ虹」にはハガキ出して何度か読まれましたよ。

読まれましたってお返事まで来ました。

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覚えているネタは、二つ。

①韓国の高麗人参ガムのイラストがちょっとセクシーなので黒マジックでブラジャーとパンティーを描いてビキニの水着にして遊びました。by 高麗人参にパンツをはかせる会会長

 

②ビニールと鉄パイプで出来た衣装入れ、「ファンシーケース」は韓国語では「ビキニオッチャン」ですって?

アジョシがビキニ着て踊ってるみたい。

 

タムタムタイムのアホネタみたいな話題を韓国がらみにして書いてました。

 

スーちゃんが「なんなんですか、これは〜!」って叫んでたのが印象的でした。

 

韓国留学した1993〜1994年はゲスト出演も果たしました。

 

本田さんの「韓国の旅」によばれまして。

印象に残っているのは水仁線です。

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 (当時の水仁線)

当時は軽便鉄道で、マイクロバスみたいな気動車二両編成。

 

今ではマンションも出来てるけど、あの頃は塩田地帯で何も有りませんでした。

 それでこんな実況中継をしちゃいました。

「両側はどこまでも泥。その中に二条のレール!なにもありません!」

 

あとで本田さんに「なにもないはないやろ!」って文句言われましたけどね、ホント、泥と線路だけだもん。

しゃぁない。

 

延世語学堂6級になって、卒論書くことになったとき、ネタがない!って本田さんに相談しました。

すると本田さん。

「卒論なら韓国の鉄道を書かな!」

それで頑張って「光り輝く韓国鉄道」ってタイトルの卒論を書いて出しましたよ。

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 私の処女作「韓国の鉄道」、プロトタイプは本田さんと回った「韓国の旅」と本田さんに勧められて書いた卒論「光り輝く韓国鉄道」なんです。

ある意味、この本は本田さんがいたから出せました。

本田さんは2011年に他界されてますが、今でも感謝してます。

 

これで私のラジオはHAPPYな友だちで〜す!は一旦終わり。

でも今回のラジオ紹介、私の人生観が透けて見えるような内容になっちゃいましたね。