ピョ〜〜〜!ピョッピョ〜〜〜!
軽便のSLが道路を快走し、日本中を回る珍番組とくれば……
ハイ!ケー100です。
主役はケー100を運転して北海道へ、沖縄へと日本一周の旅に出る伊賀山紋太(大野しげひさ)。
(伊賀山紋太)
(ケー100の主題歌レコード。歌はスター錦野ですが、作曲は何とムッシュかまやつ!)
汽笛ピポピポ、鳴らして
今日も 行くのさ どこまでも♪って主題歌を歌っているのは何とスター錦野!
あらすじはこんな感じ。
(末松隆(長田伸二)。実は末松隆役の子役の人だけケー100関係者で消息不明です)
鹿児島の鉄工所の子・末松隆は鉄工所の中に打ち捨てられた元北海道夕張炭鉱の軽便SLケー100を見つけて近所の若者で小料理屋の息子の伊賀山紋太と修理をして、タイヤで走れるようにした。
(北川久作翁。演じていた笠智衆は映画専門でドラマに出ない人でしたが、孫にせがまれて出演を決めたそうです)
末松隆は夕張の炭鉱でかつてその機関車の機関士だった老人北川久作(笠智衆)から「死ぬまでにもう一度ケー100の運転台に座りたい」という手紙をもらっていました。
末松隆は何とかケー100を運転して夕張へ行こうとしましたが、作業中に大怪我をして行けなくなってしまい、伊賀山紋太が代わりに行くことになりました。
そこから夕張に向けて長い旅が始まります。
実はケー100は水陸両用スチームカーという凄い機能があるのですが、最初、そのことに気がつかなかった紋太さん、関門海峡を越えるのにえらく苦労します。
線路を通ろうとして、失敗。
ポンポン船を手配して下関まで運んでもらうことにしましたが、微妙に重量オーバー。
(紋太さんが煙室扉を転がした関門人道トンネル)
そこで煙室扉を外して、本体を下関まで運んでもらい、紋太さんは丸い煙室扉を転がして関門人道トンネルを越えました。
(宮島でケー100が水陸両用だということが判明)
その後広島の宮島で昼寝中に満ち潮になりケー100が浮かんだところから水陸両用機能に気がつき、津軽海峡は海上を進みました。
(石段を登り切って走るケー100)
ケー100には他に階段を登る機能がある他、感情があって、紋太さんに逆らって勝手に走り出すこともしばしば。
行く先々の旅費は紋太さんが小料理屋の息子で調理師の資格があるところから流れ板として旅先の食堂や旅館の調理場を手伝って手間賃を稼いで作りました。
(フリーのカメラマン節子)
行く先々にはケー100を取材しようとする女カメラマン節子(大川栄子)、紋太を鹿児島に連れ帰ろうとする母親の嘉代(石井富子)、紋太の彼女?のノブちゃん(秋元京子)が出没します。
(紋太の母伊賀山嘉代と紋太の実家の小料理屋の店員ノブちゃん。この2人は大体セットで出てくる)
やっとのことで夕張に着くと、機関車工場でタイヤを鉄車輪に履き替え、北川老人を乗せてあげることができました。
(北川老人を乗せて線路を快走するケー100。見て思わず口走ってしまいましたよ。「うわー!乗りてぇ!後にマイクロバスサイズの客車を2、3両繋げてくんないかなぁ!」って。実はケー100放送8年後にホントにケー100に似たSLに乗れました!)
(ケー100放映の8年後、私は大学生でしたが、北海道旅行で丸瀬布いこいの森のSL「元・武利意森林鉄道SL雨宮21号」に乗りました。その姿がまるでケー100。公園スタッフに記念で撮ってもらったのがこの写真。ノリノリでキャブから顔を出しているのが私)
もっとも、その前に夕張炭鉱の廃坑自然発火を鎮火するためダイナマイトを積んで燃える坑道に突っ込んでボロボロになって戻ってくるって無茶をしてますが。
鹿児島に戻ろうとしたとき、ケー100の旅行は評判になっていて、全国の子どもたちから見たいという手紙が届いていて、今度は日本海側を通って、余命幾ばくもない沖縄県営鉄道の元機関士の老人にケー100を見せに沖縄に向かいます。
(イカサマ師石橋正彦(杜沢泰文))
今度はケー100を盗んで見せ物にしようとするイカサマ師の石橋正彦にケー100は狙われます。
実は私、ケー100を見始めたのは5回くらいからで、一番最初の場面は観てません。
同じ時間帯のレインボーマンを見ていたのですが、あまりに暗くて辛気臭くて嫌になりました。
他に面白いのないかなぁ……ってチャンネルを変えたらケー100で、そこからケー100を見始めました。
放映期間は1973年4月13日から1974年3月29日まで。
ホントは夕張の回で終わる筈が当時のSLブームと相まって大人気になってしまい、1年やることになってしまったのです。
(ケー100の発想の原点は保育社カラーブックス「蒸気機関車」に掲載された久留米の鉄屑屋に置かれた産業用SL。これが国鉄軽便鉄道線のケ100だと思われたのですが、ゲージが762mmでなく610mmだったため、産業用SLと判明。2005年ぐらいに解体されたそうですが、この写真を見てTBSスタッフがケー100のストーリーを考えついたそうです。似而非カラーシステムで着色してみたらセピア色になりました。錆だらけだから)
実に個性的なドラマでしたね。
ドラマなのに旅番組でもあるなんて前代未聞です。
強いてジャンルをいうなら人情コメディ旅情ファンタジーでしょうか。
こんな作品は他にありません。
もし、注文をつけるとしたら、二つあります。
ナレーションと解説はパックインミュージック金曜日の野沢那智でしたが、ソツがなくて上手いけど、面白みがありません。
TBSのドラマなのでナレーションに鉄道ヲタクとして有名だったTBSアナウンサーのロングおじさんこと吉村光夫アナウンサーを起用すべきでした。
(ロングおじさん。この方をナレーターにしたら、面白さが増したのに!)
ロングおじさんならノリノリになってやるから面白くなりますよ!
或いはロケ地のTBS系地方局のアナウンサーを毎回起用するとか。
京都の回なんか毎日放送の角淳一辺りが出て来たかもしれません。
あともうひとつは終わり方ですね。
ケー100を連れて鹿児島に帰ろうとする紋太さんを置いてケー100は一人?沖縄の海に入って立ち去るんですよ。
(紋太さんを置いて、沖縄の海に立ち去るケー100)
中途半端ですよね。
沖縄の海の先には何があるか?
台湾です。
沖縄の西隣が台湾ですから。
2年くらい後にスペシャルか映画をやるべきでしたね。
(台湾製糖の砂糖きび列車)
1970年代の台湾には台湾製糖の砂糖きび輸送の軽便鉄道がありました。
その軽便鉄道の関係者が海辺で動かなくなってるケー100を見つけて、修理し、砂糖きび列車の機関車の増発を図る。
安住の地を見つけたケー100は持ち前の根性で砂糖きび列車を牽引する。
それが台湾の旅番組に映る。
番組を見た紋太さんと末松隆がケー100との再会のため、訪台し、ケー100は紋太さんから、紋太さんはケー100から卒業し、お互いの成功を誓い合う!…なんてどうでしょう。
せっかくの旅情コメディなんですから、ほろ苦い結末はどうかと思いましたね。