ヨォ〜シ、やったるわ〜い!
(山下猛造)
福井の片田舎から出てきた若者山下猛造(西郷輝彦)が大阪立売堀(いたちぼり)の機械器具問屋前戸文治商店に昭和10年に丁稚奉公に上がり、そこから商売を覚えて自ら商社を興すサクセスストーリー。
「どてらい男(やつ)」です。
どてらいとは紀州弁で「どえらい」のことだとか。
放映期間は1973年10月2日から1977年3月27日までと一年半にわたる長い長いお話です。
全181回。
どてらい男、どてらい男(戦後編)、どてらい男(激動編)、どてらい男(死闘編)、どてらい男(総決算編)に分かれています。
(鈴木宗男ではありません。この方が山下猛造のモデル、山善の山本猛夫です)
山下猛造にはモデルがいて、ホットカーペットやストーブや本棚など色々通販で出しているあの「山善」の創業者山本猛夫で、前戸文治商店は現在のTONEになる前田軍治商店がモデルです。
このドラマ、母が好きで、私は母の肩を揉みながら、一緒に見ていました。
子供だったんでストーリーは細かく覚えてません。
とにかく番頭さんや手代が意地悪でいつもイジメに遭う。
(丁稚仲間に木村進!)
(お風呂の湯気で曇ったガラスでアルファベットを教えてくれるなど陰で支えてくれたお嬢様・前戸弥生に由美かおるアース渦巻)
でも、持ち前の頭の良さと機転で片っ端から倍返ししちゃって半沢直樹みたいなんです。
太平洋戦争で兵隊に取られると軍曹が藤岡重慶なんですよ。
(山下!と吠える坂田軍曹)
坂田軍曹ね。
あしたのジョーじゃ藤岡さんは強面だけど面倒見のいいボクシングジムのトレーナー兼社長ですけど、ここじゃすんげ〜悪いやつ。
シャバでは風呂屋の番台やってた学のないヤツでしたが、そのコンプレックスでちょっとでも賢そうな兵隊を殴る蹴るいたぶるです。
(大卒兵士にモロボシダンの森次晃嗣)
モロボシダンが大卒で兵隊に取られた男で出てきましたが、ボコボコにされてました。
日本の敗戦で米軍の捕虜にされたとき、山下猛造は捕虜日本兵をまとめ、復員の希望を持たせるため、陸軍大将塙団右衛門と名乗り、捕虜の代表になります。
実際に演芸会を開催したり、捕虜待遇改善要求を出したりして、大将として大活躍!
しかし、悪魔みたいな坂田軍曹は米軍にヤツは二等兵だと米軍にチクる。
階級詐称で山下猛造は裁判にかけられますが、本物の大将がBC級戦犯で処刑されるのを恐れて二等兵のふりをする中で敢えて大将と名乗り捕虜待遇改善を要求するとは勇者だ!と讃えられて、無罪になりました。
戦後は焼け野原の立売堀を復興しようとシャベルを大量に仕入れるも売れずに不良在庫を抱えて、文化鍋に交換したら、今度は文化鍋が売れず、返品したシャベルの方が注文殺到してピンチになる。
(福山自動車時計博物館には当時のオート三輪改造タクシーが保存されています)
ケーキ職人を助けるため、米軍と掛け合って小麦粉を仕入れる。
米軍の優秀な工具、機械に目をつけ輸入する。
……などなど様々な商売に手を出しました。
ライバルの商人から妨害工作に遭って会社は何度も潰れそうになる。
福井地震では奥さんを亡くしました。
(山下猛造の奥さん山下茂子役の梓英子)
その葬式にライバル社が贈ってきたもんが紅白の花輪。
仕返しに山下猛造はその会社のイベントに葬式の花輪を送りました。
アレは衝撃的でした。
大阪商人は怖ぇぇ!…ってそこは印象に残りましたね。
花登筺原作のドラマは主人公がイジメに遭って陰でメソメソするようなのが多かったですが、イジメに遭う度、倍返しするんですよ。
痛快でしたね。
これじゃ母がハマる訳です。
これだけの名作ですが、制作した関西テレビには第一回と最終回しか残っておらず、モデルとなった山善には第七回から第百二十九回のビデオだけしかありませんでした。
何故?
NHKの天下御免や新八犬伝と同じトラブルが発生していたのです。
ビデオ撮影で高価なビデオテープ使い回しです。
(こんな風に捜索プロジェクトをやりました)
関西テレビは第二回から第六回と第百三十回から第百八十回を会社を上げて探しましたが、出てきたのは第一回から十二回までのダイジェストと第三回のみ。
映画フィルムで撮影したドラマしか残らないビデオテープ問題は民放も同様だったのでした。