前回は大正時代の絵葉書、「新橋駅烏森口」を紹介しました。
絵葉書はあともう一枚あります。
2枚目はこちら。
万世橋駅です。
1943年に廃駅となった幻の駅。
1912年4月1日に中央線のターミナル駅として開業。
辰野金吾博士設計の堂々たる赤煉瓦駅舎。
レストランとバー、会議室、一等・二等客用待合室を備えた豪華な駅でした。
さらに、駅前広場には日露戦争旅順港閉塞作戦で自らの命を以ってミッションを成功させた広瀬中尉と杉野兵曹長の銅像が立っていました。
1914年12月20日には赤煉瓦駅舎の王様である東京駅が開業。
(東京駅。赤煉瓦の駅舎はここと新橋駅烏森口、万世橋駅だけだったと思います。)
1919年3月1日に中央線万世橋-東京が開業し、万世橋駅はターミナル駅ではなくなりました。
同時に神田駅も出来ました。
(燃えた万世橋駅)
1923年の関東大震災で、この赤煉瓦駅舎が焼失し、仮駅舎が建ちます。
1936年には赤煉瓦駅舎の跡地に交通博物館が建つことになり、仮駅舎は解体。
駅舎は交通博物館の片隅の小さな小屋でしかない簡易駅舎になりました。
1943年11月1日に万世橋駅は廃駅。
戦後も神田駅と秋葉原駅が徒歩圏内で近いことから復活せず、広瀬中尉と杉野兵曹長の銅像も軍国主義の象徴として米軍に忖度した東京都が撤去しました。
こうして大正時代の日本三大赤煉瓦駅舎のうちの万世橋駅は忘れられていきました。
かつての万世橋駅の跡地は交通博物館がさいたま市に移転し、今はマーチエキュート神田万世橋があります。
それでは忘れられた万世橋駅の勇姿を似而非カラーでお届けします。