日露戦争が終わったとき、乃木希典将軍と東郷平八郎元帥は大連の旅順にある海抜130mの丘「西官山」に日露戦争犠牲者の日本人2万人の遺骨を納めた慰霊塔を建てることにしました。
その名も「表忠塔」
西官山はその後白玉山とその名を改め、表忠塔は中華人民共和国になると「白玉山塔」と改名し、解体されずに残りました。
(現在の白玉山塔)
高さ66.8mのこの塔は1909年11月に落成し、記念式典には乃木希典将軍が夫婦で出席しました。
砲弾型かと思ったら、コレ、蝋燭をかたどっているんですって。
この手の軍国主義を象徴するものは韓国では真っ先に撤去です。
中国は何故コレを遺したかなぁ。
2万人の遺骨が納められた慰霊塔なんかぶっ壊したら日本人のキョンシーにでも襲われるって思ったんでしょうか。
最初にこの絵葉書を見たとき、戦前の名古屋広小路、今の中区役所附近にあった「日清戦役第一軍戦死者記念碑」に見えました。
(こちらは名古屋の日清戦役第一軍戦死者記念碑を似而非カラーシステムで着色したもの。そばには市電の起点がありました)
1901年に建てられだ日清戦役第一軍戦死者記念碑ですが、名古屋市電の起点に建てられたこともあって、名所となりましたが、交通量の多い交差点にあっただけに交通の邪魔になり、1920年に千種区の覚王山日泰寺の境内に移築されたのでした。