レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

駄菓子菓子駄菓子だ!33 オリオンココアシガレット

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販売元は大阪市淀川区のオリオン(株)

製造は富山県の浜田食品工業(株)

1951年登場の歴史ある駄菓子です。

元々は他所の会社が喫煙前に食べる大人のお菓子として開発されたものでした。

それをオリオンが子供は大人の真似をしたがるとして、一箱五円の駄菓子として1951年に売り出したのです。

パッケージは煙草のピースをモチーフにしています。

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(パッケージを開けて取り出した袋)

箱を開けるとビニールに包まれた6本の砂糖菓子が出てきます。

ハッカ、ココア、砂糖を練って固めたマッチ棒くらいの長さの千歳飴みたいな食感です。

硬くてポキポキした感じ。

全体的に肌色です。

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(これが中身。チョークみたいですね)

昔は茶色いココア飴を白いハッカ飴で包んで外見もタバコっぽかったのでした。

実際、これくわえてメンコやってるヤツ、見た気がします。

一本一本は控えめでしっとりした甘さですが、調子に乗って、何本も口に放り込まないこと。

シチュー煮るとき、これを三本口に入れてたら、だんだん口の中が甘くなってきて、味見のときに何度も口を濯ぐ羽目になりました。

嫌煙が広まって、一時期販売を自粛したり、「あなたの禁煙を応援します」なんてメッセージを入れていたりしたようですが、今でもしっかり売っているのは嬉しいですね。

姉妹品にはオレンジ、コーラ、サワー、抹茶、ブルーベリーなどがあります。

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(姉妹品の数々)

ファンにはシンガーソングライターのあいみょんがいます。

アスリートやアーティストって結構駄菓子好きがいるもんですね。

駄菓子菓子駄菓子だ!33 オリオンココアシガレット

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販売元は大阪市淀川区のオリオン(株)

製造は富山県の浜田食品工業(株)

1951年登場の歴史ある駄菓子です。

元々は他所の会社が喫煙前に食べる大人のお菓子として開発されたものでした。

それをオリオンが子供は大人の真似をしたがるとして、一箱五円の駄菓子として1951年に売り出したのです。

パッケージは煙草のピースをモチーフにしています。

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(パッケージを開けて取り出した袋)

箱を開けるとビニールに包まれた6本の砂糖菓子が出てきます。

ハッカ、ココア、砂糖を練って固めたマッチ棒くらいの長さの千歳飴みたいな食感です。

硬くてポキポキした感じ。

全体的に肌色です。

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(これが中身。チョークみたいですね)

昔は茶色いココア飴を白いハッカ飴で包んで外見もタバコっぽかったのでした。

実際、これくわえてメンコやってるヤツ、見た気がします。

一本一本は控えめでしっとりした甘さですが、調子に乗って、何本も口に放り込まないこと。

シチュー煮るとき、これを三本口に入れてたら、だんだん口の中が甘くなってきて、味見のときに何度も口を濯ぐ羽目になりました。

嫌煙が広まって、一時期販売を自粛したり、「あなたの禁煙を応援します」なんてメッセージを入れていたりしたようですが、今でもしっかり売っているのは嬉しいですね。

姉妹品にはオレンジ、コーラ、サワー、抹茶、ブルーベリーなどがあります。

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(姉妹品の数々)

ファンにはシンガーソングライターのあいみょんがいます。

アスリートやアーティストって結構駄菓子好きがいるもんですね。

昭和初期まで割り算の九九があった!

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(写真は大正から昭和初期の尋常小学校のイメージ)

皆さん、昔、割り算にも九九があったってご存知ですか?

江戸時代の和算に由来するもので、算盤で使うんだそうです。

明治から昭和初期の尋常小学校で使っていたとか。

明治38(1905)年生まれの父は使ってました。

私は勿論聞いたこともなく、二一天作の五という奇妙な呪文でしかありませんでした。

二一天作の五は例えばこう使う訳です。

先生「新吉さんとおタケさんでおまんじゅう一つを分け合いました。おタケさんの取り分が分かるもの!」

中村「ハイ!」

先生「よし、中村、答えてみよ!」

中村「二一天作の五で五分。半分であります」

息子は珠算塾にやって、三級を取らせました。

そこで割り算の九九ってやったか?って聞いたら、しらねぇって言われました。

今じゃ、珠算塾でも使わないんですね。

その割り算九九がこちら。

一の段から四の段 f:id:T_YAMADA:20200620185231j:plain 五の段と六の段 f:id:T_YAMADA:20200620185323j:plain 七の段 f:id:T_YAMADA:20200620185353j:plain 八の段 f:id:T_YAMADA:20200620185423j:plain 九の段 f:id:T_YAMADA:20200620185504j:plain

似而非カラーシリーズ 古い絵葉書をカラー化する 熱海駅

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1930年代後半とみられる熱海駅です。

バスと停まっているタクシーがクライスラーインペリアルとかトヨダAAみたいな流線型タイプだし、バスもそれぐらいの時代のものです。

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(解体前の旧駅舎。かなりリフォームされている)

駅舎がハーフティンバーの古風なスタイル。

1925年開業当初のものです。

この駅舎はリフォームを繰り返し、2010年に解体されました。

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(2016年に登場した現行のラスカ熱海)

そのあと5年ばかり仮駅舎で営業し、2015年に現行駅舎に改築され、駅ビル部分は翌年2016年にラスカ熱海として開業しました。

ここも小田原や三島同様に解体せずに旧駅舎を文化財として残して欲しかったですね。

なお、名物駅弁は小田原駅と同じ小鯵押し寿司です。

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(熱海と小田原の駅弁といえば小鯵押し寿司)

駄菓子菓子駄菓子だ!32 オリオンミニコーラ

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メーカーは大阪市淀川区のオリオン(株)

1978年登場のこれまた歴史ある駄菓子です。

一粒が正露丸ぐらいの大きさで、タブレット菓子のミンティアのコーラ味って感じですね。

発売当時、本物の缶コーラは100円であまり安くなかった。

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プルトップの蓋を開けるとこんな感じ)

安価にコーラの味を楽しもう!ってコンセプトで開発されました。

一個30円です。

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(中身はこんな感じです)

入れ物のプラ容器が本物の缶コーラと似てますね。

それで当時訴えられちゃったのですが、10年係争した結果、大きさが全然違うし、間違われることもないということで製造に問題なしとの判決が出ました。

オリオンの看板商品で年間1440万個売り上げています。

古いカラー絵葉書から22 小川眼科病院

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こちらもとある方から頂いた戦前の絵葉書です

いただいたとき、この写真の奇妙さに視線が止まりました。

だってそうでしょ?

「小川眼科病院」ってタイトルでビルの屋上のペントハウスの前で子供たちが記念写真撮っているし、別カットで素っ裸の子供が紫外線照射治療らしきものを受けている。

なんじゃコリャ⁈って思いますよ。

生命保険屋の本社ビルもですが、どう考えても観光名所でも有名な駅でもないビルが絵葉書になっているのは不思議ですよね。

それにしても、「小川眼科病院」ってどこの病院?

調べてみましたよ。

1931年に湯島で開業した入院施設まである大きな眼科だったんです。

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(小川眼科病院の建物はテナントビルとして健在だった)

そのビルが東京大空襲を逃れて、今も残ってます。

開院した初代院長は小川剣三郎。

実はそのお兄さんがとんでもない人でした。

何と日本初のステンドグラス作家小川三知(1867〜1928)です。

そのため単なる個人病院とは思えない立派なステンドグラスが入っています。

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(玄関の立派なステンドグラス)

かつてはビル1棟丸ごと入院病室付きの眼科でした。

鉄筋コンクリート3階地下1階のかなり立派な個人病院でしたが、親族への相続の問題があって、ビル自体は黒沢ビルというテナントビルになり、眼科は1階だけになりました。

国の登録有形文化財にもなっているためか、黒沢ビルでは維持管理費三千円、月1回予約制で一般公開してきました。

今はコロナ対策で公開を中止しているようですが、コロナが落ち着いたら、再開する計画のようです。

古いカラー絵葉書から21 旅順白玉山塔

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日露戦争が終わったとき、乃木希典将軍と東郷平八郎元帥は大連の旅順にある海抜130mの丘「西官山」に日露戦争犠牲者の日本人2万人の遺骨を納めた慰霊塔を建てることにしました。

その名も「表忠塔」

西官山はその後白玉山とその名を改め、表忠塔は中華人民共和国になると「白玉山塔」と改名し、解体されずに残りました。

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(現在の白玉山塔)

高さ66.8mのこの塔は1909年11月に落成し、記念式典には乃木希典将軍が夫婦で出席しました。

砲弾型かと思ったら、コレ、蝋燭をかたどっているんですって。

この手の軍国主義を象徴するものは韓国では真っ先に撤去です。

中国は何故コレを遺したかなぁ。

2万人の遺骨が納められた慰霊塔なんかぶっ壊したら日本人のキョンシーにでも襲われるって思ったんでしょうか。

最初にこの絵葉書を見たとき、戦前の名古屋広小路、今の中区役所附近にあった「日清戦役第一軍戦死者記念碑」に見えました。

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(こちらは名古屋の日清戦役第一軍戦死者記念碑を似而非カラーシステムで着色したもの。そばには市電の起点がありました)

1901年に建てられだ日清戦役第一軍戦死者記念碑ですが、名古屋市電の起点に建てられたこともあって、名所となりましたが、交通量の多い交差点にあっただけに交通の邪魔になり、1920年に千種区覚王山日泰寺の境内に移築されたのでした。

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名古屋市千種区日泰寺境内に移された日清戦役第一軍戦死者記念碑)