レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界9 関釜連絡船と関釜フェリー

前回は飛行機だったので、今回は船で行っていましょう。

日本と韓国を結ぶ船といえば関釜フェリーです。

戦前は1905年から太平洋戦争終戦の1945年まで下関から釜山まで鉄道省が運航していました。

最初期は鉄道省ではなく、その前身の鉄道院でしたが。

京釜線と接続していて、京釜線で列車遅延があると遅れを取り戻すため、SL列車が限界いっぱいまでスピードを上げて走り、釜山港の埠頭にある乗換用ホームの手前で急ブレーキをかけて止めるというアクロバットな運転をしたそうです。

 

f:id:T_YAMADA:20190422215900j:plain

 こちらが当時の絵葉書です。

白黒写真に手彩色のものですね。

釜山駅と連絡通路でつながっていた釜山桟橋駅。

一般の列車は釜山駅のホームに入りましたが、関釜連絡船に接続する特急あかつき号や急行大陸、興亜などは向かって左手のホームに入線しました。中央右手には関釜連絡船の姿も見えます。

では当時の船をご覧いただきましょう。

f:id:T_YAMADA:20190422220401j:plain

最初の船は興安丸。

7000tのかなり大きな船です。

1937年1月31日に就航、1945年6月20日に運航を停止しました。

戦後はしばらく引揚船として使われました。

保存の要望が強かったのですが残念ながら1970年に期待されてしまいました。

 

f:id:T_YAMADA:20190422220845j:plain

お次は金剛丸。

興安丸の姉妹船です。

1936年11月15日就航、1945年5月27日に機雷に接触して座礁しました。

1946年7月に引き上げられ、朝鮮戦争時にアメリカの傭船となりました。

1951年10月26日、釜山から佐世保へ向かう途中風で五島列島沖で座礁し、運行不能となったため1953年に解体されました。

 これら大型船が就航する以前は航路開設時に登場した壱岐丸、対馬丸、高麗丸、景福丸などの船が就航しましたが、いずれも金剛丸の半分にも満たない小さな船でした。

戦後は1965年に日韓の国交が樹立すると関光汽船日本郵船商船三井などが出資し、関釜フェリーとして1970年6月から運航を再開しました。

 

f:id:T_YAMADA:20190422222052j:plain

 運航開始時の船がこちら。3,875tのそれほど大きくない船でしたが、1976年まで運航し、5000トンクラスの阪九フェリーの中古船と交代しました。

2代目関釜フェリーは1984年まで運航されました。

3代目関釜フェリーはやはり阪九フェリーの中古船で1998年まで運航していました。

f:id:T_YAMADA:20190422223149j:plain

 現在は4代目のはまゆう((国内)7,747 トン(国際)16,187 トン)が1998年から運航を続けています。

 

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界8 韓国の昔の旅客機

乗り物系は鉄道と車をやりましたが、飛行機はなかったですね。

韓国のメガキャリアには大韓航空アシアナ航空がありますが、アシアナ航空は業績不振から身売り。

最終的に大韓航空1社になりそうな模様です。

大韓航空終戦直後の1946年に大韓国民航空社として設立され、1962年に国営大韓航空公社となりました。

1969年に民営化され、韓進グループ傘下企業となりました。

韓国の航空会社はあとはLCCばかりなので、昔からあるメガキャリアといえば、もう大韓航空しかありません。

したがって、古い旅客機の写真は大韓航空のものだけです。

では大韓航空の昔々の機材をご覧ください。

f:id:T_YAMADA:20190419200741j:plain

 

国営大韓航空公社時代に使われたダグラスDC-4プロペラ機です。

似而非カラーにかけたらラインの色が紫になってしまいました。

ラインの色が何色かこれでははっきりしませんね。

 

f:id:T_YAMADA:20190419201302j:plain

ロッキードL-749コンステレーション。1974年まで使われたプロペラ機です。

1機だけ済州島西帰浦市の静石飛行訓練院に保管されているそうですが…。

ラインの色、どうも赤みたいですね。

これらプロペラ機は高い高度で飛べませんから、結構揺れたでしょうねぇ。

ほかにも日本から購入した中古のYS11もかつては大韓航空で運行していたようです。

ではジェット機に移りましょう。

 

f:id:T_YAMADA:20190419202406j:plain

ボーイング707。日本ならナローボディーで4発のジェット機ならDC-8でしたが、韓国ではほぼ707でした。

1967年に登場し、ソウルオリンピックの頃まで運航していました。

色は今のような水浅黄(淡い水色)ではなく、白地に青と赤のラインでした。

1983年の大韓航空機撃墜事件(ソ連領空侵犯によりソ連戦闘機に撃墜された)の後、イメージ刷新のため今のカラーリングに変更されましたが、かつてのカラーはこれでした。

 

f:id:T_YAMADA:20190419203205j:plain

同じカラーのジャンボ機もいました。

こちらは1973年に導入され、水色に塗り替えられて2000年まで活躍しました。

でも似而非カラーの限界でライン全体が紫になってしまいましたね。

本当の色はこちらです。

f:id:T_YAMADA:20190419203536j:plain

 この大韓航空のジャンボは昔ずいぶん乗りました。

個人的には思い出深い旅客機です。

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界7 韓国の昔のお店・商店街




今回は韓国の昔のお店を紹介します。

f:id:T_YAMADA:20190415215149j:plain

 まずはクモンカゲ。直訳すると穴の店。

路地裏の食料雑貨店です。

カップ麺やドリンク類、お菓子を売っている店です。

かつてはこういう店で駄菓子を扱っていました。

駄菓子は「不良食品」といわれて韓国のPTAには不人気でした。

それで、韓国の市場から姿を消したように見えましたが、かつて駄菓子を愛好した人たちが「懐かしい昔のお菓子」という名称で、復活させています。

現在の韓国では駄菓子はネット販売を含む専門店での取り扱いとなり、クモンカゲの店頭では見かけません。

似而非カラー化したらなぜか黄色いフィルターをかけたようになってしまいました。

 

f:id:T_YAMADA:20190415215615j:plain

 こちらは1967年、開業直後のソウル世運商街の電気店です。

夏だからか、店頭には扇風機がいっぱい並んでいます。

f:id:T_YAMADA:20190415215935j:plain

 こちらはソウルの商店街の街角。

食料品店らしきものが並んでいます。

歩道がボッコボコで足を取られそうな感じです。

留学中にこの歩道のへこみに足を取られて何度かねん挫しました。

今ならあちらこちらにコンビニがありますが、1960年代はやはりそんなものはないですね。

古い商店街は日本も韓国もかなり似た感じです。

 

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界6 韓国の昔の建物

似而非カラーシリーズ、今回は戦前の韓国の建物をご紹介しましょう。

f:id:T_YAMADA:20190408213413j:plain

 まずは昭和初期の京城丁子屋百貨店です1921年に竣工、1929年に増築しました。

戦後は米軍のPXをへて1954年に美都波百貨店となり、2002年にロッテ百貨店に買収され、現在はロッテヤングプラザ明洞店になっています。

正面をガラス張りにしてしまったため、イメージがかなり変わってしまいましたが、建物の骨組みは以前のままです。

美都波百貨店は私には思い出深いデパートです。

斬新なデザインからまさか戦前物件だとは思いませんでしたが、1987年の初訪韓以降、留学するまでの間、セマウル号の切符を取りに行ったのがもっぱら美都波百貨店の旅行代理店コーナーでした。

ソウル駅の窓口は長蛇の列、しかもダフ屋がうろついている有様で切符が取れるかどうか見当がつきません。

そこでマルスがあって指定券を発売している美都波百貨店の旅行代理店に目をつけたのでした。

当時、セマウル号の切符は比較的簡単に取れました。

うやら、あの長蛇の列は高速バス並かもうちょっと安い統一号普通車指定席狙いのお客だったようです。後に家内から言われました。
「あんたと付き合って初めてセマウル号に乗ったわよ!」
多分、セマウル号って庶民からあまり親しまれていなかったんですね。
現在のロッテヤングプラザ明洞店の姿はこちらです。→ 
https://ja.wikipedia.org/wiki/丁子屋百貨店#/media/File:Lottedepart03.jpg

そして元ネタ写真はこちら→
http://sora1975.blog88.fc2.com/blog-entry-48.html

f:id:T_YAMADA:20190408214008j:plain

つづいてこちらは古い絵葉書から京城府民館です。

1935年に萩 原孝一の設計で竣工した当時の市民ホールです。

大韓民国登録文化財第11号に指定されています。

 現在はソウル市議会庁舎として使用されています。

 

f:id:T_YAMADA:20190408215526j:plain

 こちらは朝鮮戦争停戦後まもないソウル市庁です。

1926年に日本の統治下時代に建設されました。

現在はソウル図書館になってますが、2012年に背後に津波型ビルが建設され、そちらがソウル市庁新庁舎になってます。

津波型ビルだけに東日本大震災で被災された方たちからの批判を浴びてます。

f:id:T_YAMADA:20190408215008j:plain

 続きまして、壊されて存在しない名建築を絵葉書から。

戦前の朝鮮ホテルです。

朝鮮ホテルは1914年に朝鮮総督府鉄道局が開業し朝鮮半島の迎賓館とも言える高級ホテルでした。

この建物は1970年に取り壊され、京急EXイン品川駅前みたいな横断面がへの字型のつまらない建物に建て替えられてしまいました。

1970年に取り壊さずに今も残しておけば、横浜のホテルニューグランドシンガポールのラッフルズホテルのように世界中からわざわざ泊まりに来る人が絶えなかったことでしょう。

実に残念です。

f:id:T_YAMADA:20190408220326j:plain

 今度は市街地の商店街です。

昭和初期と思われる旧本町2丁目の様子。

現在のソウル特別市中区忠武路2街です。  

ネタ写真はこちら→ http://sora1975.blog88.fc2.com/blog-entry-48.html

こうしてみると戦前のほうがソウルは魅力的ですね。

再開発でかなりの建物が失われてしまったのは残念です。

今は古い町並み散歩をしようとすると仁川か群山か木浦か鎮海あたりまでいかないと楽しめません。

 

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界5 韓国の鉄道2


前回に引き続き、韓国の昔の鉄道でいってみましょう。

f:id:T_YAMADA:20190405210442j:plain

 昔、釜山機関区に勤務していた姜鍾徹さん(故人)というご老人にいただいた白黒写真を

カラー化してみました。

朝鮮戦争のとき、米軍が軍用の小型ディーゼル機関車を持ち込んだところ、SL4両分の仕事をすると評判になり、停戦後の韓国ではアメリカから電気式ディーゼル機関車を次々と導入しました。

これもそのうちの1両。

黒地にオレンジラインのこれらの機関車を韓国の鉄ヲタはホランイ(虎)と呼んでいましたが、私はクマンバチと呼んでいました。

クマンバチは正しくはオオスズメバチ。カラーリングがもろに黒とオレンジでしたからね。

f:id:T_YAMADA:20190405211214j:plain

 お次は1969年に登場した当時のセマウル号

当初は「観光号」なる名称でした。

似而非カラーシステムの限界が露呈していますね。

帯の色が海老茶色になってますが、本当は青です。

新幹線0系のカラーを模したものでした。

f:id:T_YAMADA:20190405212613j:plain

 こちらは湖南線セマウル号運転開始時の写真。やっぱり色が変ですね。

f:id:T_YAMADA:20190405211704j:plain

 こっちが本当のカラー。初めて鉄道ジャーナル誌でセマウル号を見たときは興奮しましたよ。

特急ときの中間車サハ180が0系塗装にされて、同じ0系色のアメリカ型機関車に牽引されているんですから。

ずらりと並ぶキノコ型クーラー、食堂車は夜行急行客車列車のビュッフェだったオシ16の屋根をこだま型ビュッフェのモハシ180にした感じ。

面白すぎて写真を撮りたい!乗りたい!ってなっちゃいました。

それが韓国語を学んだきっかけでした。

当時の韓国は軍政時代で鉄道写真は許可制。

英語でMay I take this train's photo?なんていってもNo!って断れそうでした。

そこで韓国語で「私は日本人鉄道マニアです。この車両を大変に気に入りました。観光記念に写真を撮らせてください!」

そういえばOKが出るだろう。

それで韓国語を初めてズブズブですからね。

本まで出したし。

特急列車の次は昔の鈍行列車に行ってみましょう。

f:id:T_YAMADA:20190405212835j:plain

 1961年撮影の東海南部線の鈍行列車。

窓の大きい軽量客車が使われていました。

f:id:T_YAMADA:20190405213200j:plain

 最後にフルカラーの1993年撮影の鈍行列車ピドゥルギ号の写真をお目にかけましょう。

編成の真ん中あたりに東海南部線の客車と同じのが入っています。

今は車内販売さえないですが、かつてはセマウル号ムグンファ号に食堂車が入って、弁当の車内販売もあって韓国鉄道旅行はとても楽しかったのを覚えています。

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界4 韓国の鉄道1


f:id:T_YAMADA:20190404210620j:plain


前回までクルマをテーマにしてきました昭和レトロ韓国編。

今回はSLで行ってみましょう。

まずは戦前の韓国で特急あかつき号や急行興亜などを牽引したSLパシコ型蒸気機関車ですD51 22~23のおおなめくじみたいなカバーが付いているところが特徴的です。元ネタはこちらの写真です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮総督府鉄道#/media/File:Pashiko.JPG

続きまして、パシコ型蒸気機関車の太平洋戦争後の姿です。

 

f:id:T_YAMADA:20190404211359j:plain

 ドン・ロスというアメリカの方がやっている鉄道写真のサイトの写真から。

パシコ型蒸気機関車2号機です。

ちょうど朝鮮戦争が停戦となる時期の写真です。 

元の画像はこちら→
http://donsdepot.donrossgroup.net/kpc52.jpg

f:id:T_YAMADA:20190404211841j:plain

 次は同じドン・ロスさんのサイトから。

テホロ型蒸気機関車32号。

主に亜幹線の列車を牽引していた機関車で旅客にも貨物にも使われていました。日本ならC58あたりの立ち位置にあった機関車ですね。

カラー化したらかなり自然なタッチになりました。 

元の写真はこちら→ 

http://donsdepot.donrossgroup.net/ktw632.jpg

f:id:T_YAMADA:20190404212215j:plain

 こちらもドン・ロスさんのサイトのものです。

ミカ3 304号。この機関車、実は朴正煕大統領が離島の子供たちにSLを見せてあげよう!……ということで済州島三無公園に展示された機関車です。 

ミカ3型は韓国版D51ともいわれる韓国の代表的な貨物用機関車でした。

元の画像はこちら→

http://donsdepot.donrossgroup.net/dr0001/knrmk3304.jpg

同じミカ3型機関車をもう一枚!

伊藤博さんご提供の写真です。1967年にSLの本線運行が廃止となり、蒸気機関車は水仁線(1977年でSL運転廃止、気動車のみの運行となった)と入換用でほそぼそと使われていました。

1970年代のそんな入換で使われていた釜山のミカサ型蒸気機関車16号がこれです。

f:id:T_YAMADA:20190404213142j:plain

大型SLが活躍していた時代の韓国、いかがでしたか?

またお目にかかりましょう!

 

似而非カラーシリーズ 韓国版のレトロ世界3 クルマあれこれ2


似而非カラーシリーズ、今度は緊急車両に行っていましょう。

1960年の韓国で行われた消防訓練の様子です。消防車がほぼ軍用のGMCトラックを改造したものです。 元の写真は国家記録院のものです。 http://theme.archives.go.kr/next/pages/new_newsletter/2015/11/sub5.html

 実はここに登場した消防車と同形のものが江原道洪川の洪川郷土資料館の入口に保存されています。

元々春川に配属されていたもので、1958年に洪川の消防団に贈られたものでした。

 1960年代はGMC軍用トラック改造車ばかりでしたが、1970年代になると日本からいすゞTX消防車が入ってきました。

写真のものは空中作業車です。

似而非カラー化してみたら全体的にオレンジ色になりました。

夕暮れ時みたいですね。

 1960年代のソウルの消防車には化学車らしき消防車もありました。

ソウル中部消防署所属のものですが、タイトルは水タンク消防車。つまり水槽付きポンプ車です。

救急車も見てみましょう。

 韓国最初の救急車として紹介されていたポーターアンビュランスカーですが、最初は米軍の小型トラック改造の救急車をそのまま払い下げてもらっていたみたいですね。

 こちらはソウル大学病院所属の救急車。

実は韓国の消防署が救急車を保有し始めたのは1980年代以降のこと。

1970年代までは大きな病院が救急車を保有し、有料で搬送していました。

そのため、貧しい人は救急車を利用できず、重篤な患者をタクシーに乗せて病院に連れて行くありさまで、亡くなる方も多かったそうです。

ソウルオリンピック誘致のために1980年代に法整備を行い、徐々に導入していったのでした。

さて、パトカーは?

似而非カラーに加工できる適当な白黒写真がないので、ソウルの警察博物館で撮影した最初のパトカーをお届けしましょう。

f:id:T_YAMADA:20190330175426j:plain

 鍾路警察署のパトカー。

米軍払い下げのジープを白塗りして使いました。

この辺の事情は日本のパトカー誕生時とほぼ同じです。