ヤフオクで買ったグリコのおまけのトラック、もう一台赤がありましたよね?
これでした。こちらは赤の小型ボンネットトラックですから、仮想する荷台は迷いませんでした。
ズバリ1970年代後半の郵便車です。
参考にしたのはこちら。
似合いそうでしょ?
郵便車は後にのぞき窓があります。
のぞき窓を再現するとなると、角材は使えません。そこでプラバンだけで形を作り、窓もつけてみました。
お魚屋さんの仕入れトラックとは似ても似つかない姿になりましたね!
先だって紹介したヤフオクで買ったグリコのおまけのトラック。
見ての通りシャーシだけで荷台がありません。
これじゃどうも収まりが悪いってぇもんです。
そこで荷台を自作してみることにしました。
写真を見ての通り、シャーシの真ん中に穴一つ!
これは元々は荷台があったってことですね。
さて、どんな荷台にしましょうか?
ネットで検索してみたらこんなトラックのおまけがありました。
魚屋のトラック!
グリコアイスクリームのトラック。
さてどっちにしましょうか?
ピンクとかイエローのトラックなら、グリコアイスでしょうね。
でも手持ちのはスカイブルーです。
映えるのは魚屋さんのトラックでしょう。
そこで、ネットの写真から原稿を起こして、インクジェットプリンター用のデカールキットにプリントしてステッカーを作りました。
角材とプラバンを張り合わせて形を作り、白く塗装しておきました。
組み合わせてみたら、ハイ!こんな感じ!
ちょっと腰高なのが玉に瑕ですが、お魚屋さんの仕入れトラックに化けました。
おまけっぽいトラックに仕上がったでしょうか?
グリコのおまけグルマの仲間がまたまた増えました! 購入はまたメルカリで!
これはウイリスジープ。
前回のより二まわり小さいです。
おそらくおまけがグリコ値上げで大きくなる前のものです。
ルパン3世にも登場したハンドメイド車「モーガン」のようです。
これも小ぶりなのでグリコのおまけが小さかった時代のものでしょう。
ボンネットトラック青と赤。
色違いです。後部は荷台がなくシャーシのみ。シャーシは穴あき。
多分荷台欠損でしょうね。
これはオリジナルのアルミバンを架装したくなるなぁ。
プラか木片で作るかなぁ。
こちらはネットで見つけたグリコのおまけトラック。
多分このテの荷台がついていたんじゃないかと推察します。
赤は郵便車にして、青はこの写真の「れいとうしゃ」でどうでしょう?
「七時三十分になりましたっ!」 何故か拳を口に当てるという妙な仕草で時報を言う志賀正浩!
ジャンルとしてはNHKのおはよう日本と同じ朝のワイド番組というカテゴリーの不思議な番組。
おはようこどもショーのノリを兼ね備え、背後にいつも東京タワーが映り込む独自の世界を構築していたのが、平成時代のおはスタの原形となった「おはようスタジオ」でした。
放送期間は1979年4月2日から1986年6月27日まで。当初は東京12チャンネルでしたが、1981年からテレビ東京になりました。
放送時間は月曜〜金曜の7:30〜8:30の一時間番組でしたが、1981年4月6日以降、番組は7:05からとか7:00からとかより早い時間に繰り上げられ、1986年3月31日から最終回までは7:25 〜8:15の50分になっていました。
司会は冒頭で紹介した志賀ちゃんこと志賀正浩。元フォー・セインツのメンバーでラジオDJとしても知られています。
おはようスタジオの前はニッポン放送の志賀正浩危機一髪、ラジオよ開けハッピッピの木曜夜の担当でした。
アシスタントは1984年3月30日まで文化放送の「走れ!歌謡曲」のDJだった竹谷英子が担当。
降板後は泰葉、さつきりせ、青田浩子、日高のり子と頻繁に交代してました。
番組開始時は主婦と子供をターゲットにした情報番組って企画でした。
ところが、蓋を開けたら、主な視聴者は子供と学生のアイドルヲタク!
番組開始時間が早くなったのも、登校時間と番組の放送時間がカブるから早くしてくれないと見られないって子供たちからのクレームが来たからでした。
毎朝、開校記念日などで学校が休みになった子供たちがテレビ東京の前に集まってきちゃうし。
視聴者に電話するコーナーも相手は子供!それで子供番組化しました。
学生アイドルヲタクに刮目されたのにも秘密が!
番組ゲストで新人アイドルが片っ端から呼ばれていたんです。
早見優、中森明菜、小泉今日子、石川秀美、松田聖子、チェッカーズ、新田純一……後々ビッグアイドルになる新人さんがみんな志賀正浩に売り出してもらってました。
朝4時スタジオ入りなんで前日深夜までレコーディングをさせられていたアイドルは声がガラガラになりました。
そのせいかブレークすると来なくなったとか。
子供たちの間でブレークしているものはなんでも取り上げる方針。
それで、「ザ・モンキーズ・ショー」が子供たちの間で人気が出たら、国際電話インタビューを敢行。
志賀正浩がフォークシンガー上がりのDJだったんでその人脈で遠藤賢司がゲストで来てオムライスを生歌で歌ったこともありました。
ゲームのコーナーもあって、高橋名人とみうらじゅんがレギュラーでした。
子供番組なのにラジオのDJ番組的要素もはらんだ超個性派ワイド番組でした。
とりあえず子供番組編はこれでお開きとさせていただきます。
シャバドゥッビドゥッバ シャビドゥバッ シャバドゥッビドゥッバ ランララン♪
サイケデリックなビジュアルと五の束と十の塊にこだわる算数!
さて、なんでしょう?
ハイ!カリキュラマシーンです。
カリギュラ効果はありません。
ギニョさんこと齋藤 太朗プロデューサーが司会でセサミストリートをゲバゲバ90分テイストに味付けし直したコント満載の怪教育番組でした。
放映期間は1974年4月1日から1978年3月31日までの月曜から土曜まで。
なお、この番組の教育カリキュラム策定には子供電話相談室の無着成恭が関わっていました。
出演者にはゲバゲバの流れで、宍戸錠、藤村俊二、常田富士男がいました。 ぶっ飛んでましたね! あのエネルギーって一体なんだったのだろう⁉︎
ムックとガチャピンが出てくる和製セサミストリートといえば…… ひらけポンキッキです。
ポンキッキって何?って不思議に思いませんか?
これは当時のフジテレビ社長の浅野賢澄が趣味で書いていた小説にポンキッキ博士というキャラクターがいて、語呂が良かったから使ったんですって!
ひらけはひらけゴマから取ってます。
何しろお手本がセサミストリートなもんで。
放送期間は1973年4月2日から1993年9月30日までの毎週月〜金でした。
放映時間は放送開始から1975年9月までは14:00 - 14:30の30分でしたが、その後朝の時間帯に移っています。
放送開始から1975年3月まで、司会がウルトラの母ぺギー葉山、アシスタントのおねえさんが可愛和美でそこにキャラクターであるムックとガチャピンが絡むスタイルでした。しつけと称する道徳の時間と寸劇、アニメ、実写映画で乗り物や自然を紹介するコーナー、歌などで構成されてました。
歌は結構力を入れていたようです。
子供をガチャピンが食べるという内容でハモンドオルガンくらい波紋を投げかけた「たべちゃうぞ」以外にも「いっぽんでもニンジン」「パタパタママ」「ホネホネ・ロック」「はたらくくるま」「まる・さんかく・しかく」「カンフーレディー」「NINJIN娘」なんて曲がひらけポンキッキから出ました。
最大のヒット作は「およげ!たいやきくん」でしたが。
もっと驚くべきはこの番組スタートから十年間シナリオを支えてきた構成作家です。
なんとのっぽさんこと高見映さん!
番組の歌の歌手や構成作家が何気に豪華な子供番組でした。