駄菓子菓子駄菓子だ!26 にんじん
いわゆるパフライスです。
本来これは大正時代から戦後まもなくまで行商人がポン菓子製造機を持ってあちらこちらを回って、子供たちが持ってきたお米をドカンと爆発させて作っていたものです。
戦時中は携帯用糧食として押し固めたヤツを軍隊が採用してました。
爆発音が凄いせいか、行商のポン菓子はだんだんと廃れ、入れ替わるように工場で作って、オレンジ色の円錐形の袋に入れて駄菓子屋で売るにんじんが広まってゆきました。
(にんじんの中身)
オレンジ色の袋はかつてはセロハンで出来てましたが、セロハンの袋では湿気やすいのかポリプロピレンの袋に変わってます。
ケロッグのチョコクリスピーというシリアルはこのポン菓子にチョコを纏わせたもの。
(ケロッグのシリアル「チョコクリスピー」)
今は生産終了し、市場から姿を消したライスチョコレートはミルクチョコレートにこのポン菓子を仕込んだものでした。
古いカラー絵葉書から14 昭和の青函連絡船の絵葉書十和田丸
今回は十和田丸。
白とオレンジの船体はJR北海道発行の絵葉書と同じ。
製造から青函連絡船廃止まで色の変更はありませんでした。
(JR北海道版絵葉書の十和田丸)
就航は1966年11月1日。
青函連絡船廃止後のメモリアル運航で1988年9月18日まで運航しました。
津軽丸型第7船です。
津軽丸型は当初6隻のみ建造する計画でしたが、青函連絡船利用者が思いのほか多かったため、追加で作られた1隻です。
そのため、それまで作られた6隻とは微妙に異なるマイナーチェンジがなされたようですが、見たところちょっと分かりませんね。
(クルーズ船ジャパニーズドリーム号に改装された十和田丸)
青函連絡船廃止後はクルーズ客船に改造されて、1990年3月24日から1992年1月6日までジャパニーズドリーム号として就航。
1995年にフィリピンに売却され、2008年に解体されました。
駄菓子菓子駄菓子だ!25 チロルチョコ
歴史はありますよ。
元は三連式のチョコで、1962年登場。
チロルチョコ(株)は2004年に企画販売部門を分社化して東京に設けたオフィス。
最初にチロルチョコを考え出したのは松尾製菓二代目社長の松尾喜宣氏。
当時、チョコレートは大人向けの高級品。
子供たちが口にするとしたら、親からオヤツでもらうイメージ。
ほぼケーキみたいな扱いですね。
そこを子供が駄菓子屋で十円玉一枚で買えるチョコレートをというコンセプトで開発した訳です。
全部チョコレートだと十五円になってしまうので、芯にヌガーを使いました。
(オイルショック以降、25mm角になった)
当初は三連タイプでしたがオイルショックで三十円に値上げしなくてはならなくなって、十円で出すことを守るために今のような25mm角の正方形になりました。
また、かつては西日本にしか販路がなかったため、西日本だけの発売でした。
ホントは私、このチロルチョコ、苦手だったんですよねぇ。
歯にネチネチひっついて。
ホントに好きだったのはトーサンの「ライスチョコレート」
(幻のライスチョコレート)
「10円じゃ何も買えないよ!」
「ライスチョコレートがある!」
「トーサン!」
……ってCMで知られていましたが、トーサンは1987年に名前どおり倒産!
あとを引き継いだ東チョコは2016年に生産終了!
空いた駄菓子屋の商品棚に割り込んできたのが、東日本進出に成功したチロルチョコとフルタのセコイヤチョコレート!
そりゃセコイヤ!