レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

古いカラー絵葉書から16 昭和の青函連絡船の絵葉書 大雪丸

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メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

今回は津軽型第4番船の大雪丸です。

JR北海道発行の絵葉書では紺と白の塗り分けみたいに見えましたが、光線の加減のようです。

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JR北海道版の絵葉書)

本当はダークグリーンと白の塗り分けです。

完成当初は実は若草色でした。

ところが若草色は松前丸と八甲田丸で使っていたのです。

若草色と白の塗り分けの船が3隻もあったんじゃ紛らわしくて仕方がありません。

それで大雪丸は1966年にダークグリーンと白に塗り替えられました。

津軽丸型なので普通船室はキハ80風特急普通車座席と桟敷席。

それに売店、シャワー、寝台、グリーン船室、食堂、喫茶室がついて定員は1200人でした。

古いカラー絵葉書から15 昭和の青函連絡船の絵葉書 貨物船改造船舶

メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

 

今回は貨物船改造船舶の石狩丸と檜山丸です。

 

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石狩丸

 

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檜山丸

 

白と赤の船体は北海道発行の絵葉書と同じですね。

 

この絵葉書のセットには実は津軽丸と松前丸が入っていないんです。

 

ということは発行時期がしぼれてしまうんです。

 

津軽丸終航は1982年3月4日

松前丸終航は1982年11月12日

石狩丸改造就航は1982年3月17日

檜山丸改造就航は1982年10月1日。

 

松前丸が入っていないということは1982年11月13日以降、国鉄分割民営化までの間に青函連絡船売店で売っていた絵葉書ということになります。

駄菓子菓子駄菓子だ!27 セコイヤチョコレート

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メーカーは大阪府堺市フルタ製菓(株)

ライスチョコレートが生産中止になって駄菓子屋さんの空いた商品棚にチロルチョコと共に入り込んできたやつです。

セコイヤ!

1976年登場。

三層ウエハースにナッツクリームを載せたものにチョコレートコーティングをして、

丸太を半分に割ったようなデザインにしてあります。

ウエハースがサックサクですね。

歯にひっつかないので、チロルチョコよりはだいぶ食べやすいです。

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(これがセコイヤチョコレートの中身)

これはミルクですが、姉妹品ですイチゴとアーモンドもあります。

駄菓子菓子駄菓子だ!26 にんじん

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メーカーは茨城県坂東市の(株)タカミ製菓。

いわゆるパフライスです。

本来これは大正時代から戦後まもなくまで行商人がポン菓子製造機を持ってあちらこちらを回って、子供たちが持ってきたお米をドカンと爆発させて作っていたものです。

戦時中は携帯用糧食として押し固めたヤツを軍隊が採用してました。

爆発音が凄いせいか、行商のポン菓子はだんだんと廃れ、入れ替わるように工場で作って、オレンジ色の円錐形の袋に入れて駄菓子屋で売るにんじんが広まってゆきました。

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(にんじんの中身)

オレンジ色の袋はかつてはセロハンで出来てましたが、セロハンの袋では湿気やすいのかポリプロピレンの袋に変わってます。

ケロッグのチョコクリスピーというシリアルはこのポン菓子にチョコを纏わせたもの。

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ケロッグのシリアル「チョコクリスピー」)

今は生産終了し、市場から姿を消したライスチョコレートはミルクチョコレートにこのポン菓子を仕込んだものでした。

古いカラー絵葉書から14 昭和の青函連絡船の絵葉書十和田丸

メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

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今回は十和田丸。

白とオレンジの船体はJR北海道発行の絵葉書と同じ。

製造から青函連絡船廃止まで色の変更はありませんでした。

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JR北海道版絵葉書の十和田丸)

就航は1966年11月1日。

青函連絡船廃止後のメモリアル運航で1988年9月18日まで運航しました。

津軽丸型第7船です。

津軽丸型は当初6隻のみ建造する計画でしたが、青函連絡船利用者が思いのほか多かったため、追加で作られた1隻です。

そのため、それまで作られた6隻とは微妙に異なるマイナーチェンジがなされたようですが、見たところちょっと分かりませんね。

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(クルーズ船ジャパニーズドリーム号に改装された十和田丸)

青函連絡船廃止後はクルーズ客船に改造されて、1990年3月24日から1992年1月6日までジャパニーズドリーム号として就航。

1995年にフィリピンに売却され、2008年に解体されました。

古いカラー絵葉書から13 昭和の青函連絡船の絵葉書

メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

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津軽海峡を行く羊蹄丸を空撮!

今ならドローンで撮るんでしょうけど、このときはセスナかヘリを飛ばしたんですね。

国鉄ってリッチですねぇ!

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こちらは夕暮れの函館港。

今回は風景絵葉書をお届けしました。

駄菓子菓子駄菓子だ!25 チロルチョコ

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メーカーは東京都千代田区チロルチョコ(株)

歴史はありますよ。

元は三連式のチョコで、1962年登場。

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オイルショックで値上がりする前のチロルチョコ

発売したのは福岡県田川市のキャラメル会社の松尾製菓(株)。

チロルチョコ(株)は2004年に企画販売部門を分社化して東京に設けたオフィス。

最初にチロルチョコを考え出したのは松尾製菓二代目社長の松尾喜宣氏。

当時、チョコレートは大人向けの高級品。

子供たちが口にするとしたら、親からオヤツでもらうイメージ。

ほぼケーキみたいな扱いですね。

そこを子供が駄菓子屋で十円玉一枚で買えるチョコレートをというコンセプトで開発した訳です。

全部チョコレートだと十五円になってしまうので、芯にヌガーを使いました。

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オイルショック以降、25mm角になった)

当初は三連タイプでしたがオイルショックで三十円に値上げしなくてはならなくなって、十円で出すことを守るために今のような25mm角の正方形になりました。

また、かつては西日本にしか販路がなかったため、西日本だけの発売でした。

ホントは私、このチロルチョコ、苦手だったんですよねぇ。

歯にネチネチひっついて。

ホントに好きだったのはトーサンの「ライスチョコレート」

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(幻のライスチョコレート)

「10円じゃ何も買えないよ!」

「ライスチョコレートがある!」

「トーサン!」

……ってCMで知られていましたが、トーサンは1987年に名前どおり倒産!

あとを引き継いだ東チョコは2016年に生産終了!

空いた駄菓子屋の商品棚に割り込んできたのが、東日本進出に成功したチロルチョコとフルタのセコイヤチョコレート

そりゃセコイヤ!