レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

古いカラー絵葉書から17 昭和の青函連絡船の絵葉書 八甲田丸

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メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

今回は津軽型第2番船の八甲田丸です。

JR北海道発行の絵葉書にはなぜか入ってませんでした。

ほら、黄色と白の塗り分けの船なんてありましたか?

なかったでしょ?

代わりに観光客の目にほとんど触れることのない貨物船の空知丸なんか入ってました。

何故外されたのか、正直見当がつきません。

さて、この八甲田丸、就航は1964年8月12日。

引退は1988年3月13日。

津軽丸と松前丸が1982年に耐用年数に達して廃船となったのに対し、八甲田丸は延命工事が行われ、歴代の青函連絡船最長となる23年7ヵ月間もの長い間、津軽海峡を往復していました。

廃船後は摩周丸と共に産業文化遺産として保存されました。

八甲田丸は青森に、摩周丸は函館に保存されています。

さて、八甲田丸ですが、前回お伝えした通り、完成当初は大雪丸松前丸と同じ若草色でした。

紛らわしいですね。

しかも煙突のJNRマークの上下。

松前丸は若草色ですが、八甲田丸と大雪丸は同じくピンク。

船体は津軽丸型で同じ。

区別の必要が生じました。

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(デビュー当時の八甲田丸。大雪丸とお揃いのカラーリングでした)

それで八甲田丸は1969年に黄色と白に塗り替えられました。

かくして、津軽丸型船舶にはシンボルカラーが出来たのです。

整理するとこうです。

津軽丸………青灰色

②八甲田丸……黄色

松前丸………若草色

④大雪丸………緑色

摩周丸………群青色

⑥羊蹄丸………臙脂色

⑦十和田丸……橙色

戦隊モノみたいな船体になりました。

駄菓子菓子駄菓子だ!28 花串カステラ

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メーカーは愛知県名古屋市の鈴木製菓有限会社。

22cmもの長い串に平べったいベビーカステラがソーシャルディスタンスして間隔を空けて刺さってます。

この平べったいベビーカステラ、全体的に砂糖がまぶしてあって分かりにくいですが、茶色の焦げ目の付いている側が花の形の模様がついてます。

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(花串カステラの中身。写真では裏側になる平べったいベビーカステラの焦げ目には花模様)

だから「花串」な訳です。

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ベビーカステラの裏面)

名古屋が発祥の地でメーカーは全て名古屋。

しかも暖簾分けで繋がっている子弟関係にあるのです。

この鈴木製菓の場合、師匠が梅田製菓。

兄弟弟子が稲吉製菓と佐藤製菓。

梅田製菓の師匠は朝日軒。

兄弟弟子に美濃金製菓。

その弟子が永井製菓。

そして両者の師匠である家元が美濃鎌。

これじゃまるで落語家ですよ。

花串カステラ自体を美濃鎌一門と呼ばなくてはならなくなります。

こうなってくると、たかが駄菓子。されど駄菓子ですなぁ。

古いカラー絵葉書から16 昭和の青函連絡船の絵葉書 大雪丸

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メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

今回は津軽型第4番船の大雪丸です。

JR北海道発行の絵葉書では紺と白の塗り分けみたいに見えましたが、光線の加減のようです。

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JR北海道版の絵葉書)

本当はダークグリーンと白の塗り分けです。

完成当初は実は若草色でした。

ところが若草色は松前丸と八甲田丸で使っていたのです。

若草色と白の塗り分けの船が3隻もあったんじゃ紛らわしくて仕方がありません。

それで大雪丸は1966年にダークグリーンと白に塗り替えられました。

津軽丸型なので普通船室はキハ80風特急普通車座席と桟敷席。

それに売店、シャワー、寝台、グリーン船室、食堂、喫茶室がついて定員は1200人でした。

古いカラー絵葉書から15 昭和の青函連絡船の絵葉書 貨物船改造船舶

メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

 

今回は貨物船改造船舶の石狩丸と檜山丸です。

 

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石狩丸

 

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檜山丸

 

白と赤の船体は北海道発行の絵葉書と同じですね。

 

この絵葉書のセットには実は津軽丸と松前丸が入っていないんです。

 

ということは発行時期がしぼれてしまうんです。

 

津軽丸終航は1982年3月4日

松前丸終航は1982年11月12日

石狩丸改造就航は1982年3月17日

檜山丸改造就航は1982年10月1日。

 

松前丸が入っていないということは1982年11月13日以降、国鉄分割民営化までの間に青函連絡船売店で売っていた絵葉書ということになります。

駄菓子菓子駄菓子だ!27 セコイヤチョコレート

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メーカーは大阪府堺市フルタ製菓(株)

ライスチョコレートが生産中止になって駄菓子屋さんの空いた商品棚にチロルチョコと共に入り込んできたやつです。

セコイヤ!

1976年登場。

三層ウエハースにナッツクリームを載せたものにチョコレートコーティングをして、

丸太を半分に割ったようなデザインにしてあります。

ウエハースがサックサクですね。

歯にひっつかないので、チロルチョコよりはだいぶ食べやすいです。

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(これがセコイヤチョコレートの中身)

これはミルクですが、姉妹品ですイチゴとアーモンドもあります。

駄菓子菓子駄菓子だ!26 にんじん

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メーカーは茨城県坂東市の(株)タカミ製菓。

いわゆるパフライスです。

本来これは大正時代から戦後まもなくまで行商人がポン菓子製造機を持ってあちらこちらを回って、子供たちが持ってきたお米をドカンと爆発させて作っていたものです。

戦時中は携帯用糧食として押し固めたヤツを軍隊が採用してました。

爆発音が凄いせいか、行商のポン菓子はだんだんと廃れ、入れ替わるように工場で作って、オレンジ色の円錐形の袋に入れて駄菓子屋で売るにんじんが広まってゆきました。

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(にんじんの中身)

オレンジ色の袋はかつてはセロハンで出来てましたが、セロハンの袋では湿気やすいのかポリプロピレンの袋に変わってます。

ケロッグのチョコクリスピーというシリアルはこのポン菓子にチョコを纏わせたもの。

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ケロッグのシリアル「チョコクリスピー」)

今は生産終了し、市場から姿を消したライスチョコレートはミルクチョコレートにこのポン菓子を仕込んだものでした。

古いカラー絵葉書から14 昭和の青函連絡船の絵葉書十和田丸

メルカリで見つけた旧国鉄時代の青函連絡船絵葉書の続きです。

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今回は十和田丸。

白とオレンジの船体はJR北海道発行の絵葉書と同じ。

製造から青函連絡船廃止まで色の変更はありませんでした。

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JR北海道版絵葉書の十和田丸)

就航は1966年11月1日。

青函連絡船廃止後のメモリアル運航で1988年9月18日まで運航しました。

津軽丸型第7船です。

津軽丸型は当初6隻のみ建造する計画でしたが、青函連絡船利用者が思いのほか多かったため、追加で作られた1隻です。

そのため、それまで作られた6隻とは微妙に異なるマイナーチェンジがなされたようですが、見たところちょっと分かりませんね。

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(クルーズ船ジャパニーズドリーム号に改装された十和田丸)

青函連絡船廃止後はクルーズ客船に改造されて、1990年3月24日から1992年1月6日までジャパニーズドリーム号として就航。

1995年にフィリピンに売却され、2008年に解体されました。