思い出のアニメ ジャパニメーション編29 その他1970年代の日本のアニメ 一休さん
「慌てない慌てない。一休み一休み!」
CMの度に寝っ転がって呑気なこと言ってるヤツはだぁれ?
(慌てない慌てない。一休み、一休み!)
ご存知一休さんです。
放映期間は1975年10月15日から1982年6月28日まで。
なんと7年近く続いたのでした。
アニメでは意地悪商人の桔梗屋と娘の弥生や将軍足利義満の無茶振りにトンチでやり返します。
(桔梗屋と娘の弥生)
(将軍足利義満。一休さんの時代は実は足利義満は出家して金閣寺にいたのですが、絵柄的にはイマイチなのでこの姿)
トンチを出すときは、結跏趺坐で座り込み、両手の人差し指を舐めて側頭に丸を描きます。
目を閉じて座禅。
ポクポクポクポクと木魚のBGMが流れる。
チーン!とお鈴の音がして目を開いたらトンチを閃く。
お鈴の音がしないときはトンチ閃き失敗。
凹む。
「うわー、ダメだぁ!」ってしょげてね。
超有名シーンは虎退治とこの橋を渡るべからずですね。
虎退治
足利義満が一休さんを呼びつけて、屏風の虎を縛ってくれと無茶振りする。
それに対して一休さん
「見事縛り上げますから、公方様、屏風から虎を追い出してくださいませ!」
この橋渡るべからず
桔梗屋が店舗前の橋に高札を掲げます。
[このはし渡るべからず]
一休さんは橋の真ん中を渡り、一言。
「端は渡らず、真ん中を通りました」
別の回では、[このはし渡るべからず]の高札に書き加えられていました。
[真ん中もダメ]
一休さんは反物を用意して、その上を歩いて渡りました。
桔梗屋に文句を言われると
「私は橋ではなく、橋の上の布の上を渡りました」
これら一休さんのエピソードの原作は元禄時代に書かれた説話「一休咄」です。
史実通りではなく、作家の創作部分がかなり含まれているようです。
アニメの中で実在の人物は一休さんこと一休宗純(1394〜1481)と蜷川新右衛門こと蜷川親当(生年不詳〜1448)です。
(蜷川新右衛門)
新右衛門さんは子孫がK-1の武蔵。
(子孫の武蔵)
新右衛門さんは晩年出家の上、連歌師になっています。
一休さんとは連歌師時代の知り合いで、小坊主の時には実は会ってません。
(出家前の千菊丸)
アニメでは女官で伊予局でした。
南朝の貴族の娘で謀反を疑われて宮中を追われました。
町でひっそりと千菊丸という男の子を産みます。
千菊丸がのちの一休禅師。
六歳で像外集鑑和尚に預けられて仏教僧生活を始めますが、アニメでは外観和尚でした。
実際にはこのときの戒名は周建で、漢詩と絵を描くことを得意としてました。
アニメでは一休さんとなり、周建でなかったのは誰や?お前!ってなるからですね。
最終回で安国寺を出て修行の旅に出ます。
一休さんは奇行の持ち主としても知られています。
取っ手にドクロの付いた杖をつきながら「御用心、御用心!」と言って練り歩く。
木刀で飾太刀を作って、「見た目はこんなに立派でも抜けば詰まらない木刀だ!」と言う。
般若湯(お酒)、魚、肉、エッチだぁい好き!
LGBTのBだとカミングアウト。
子供を作って、自分の寺の小坊主にする。
ロッカーみたいだなんて言う人もいますね。
一休さんが敢えて破戒僧のように振る舞ったのはどうも当時の禅宗が堕落し、権威主義的、金儲け主義的に見えたからみたいです。
室町時代の五山僧といえば、宗教家というだけでなく、中国貿易の商社マンでもあったのです。
経典以外に中国の大衆小説ほかさまざまな中国製品の輸入販売をやってお金を儲けてました。
利益は室町幕府に献金して見返りに然るべき高い僧位を斡旋してもらうなんていうことをしていました。
(友だちの一向宗蓮如上人。あるとき、蓮如上人の留守に一休さんが来て、待つ間、阿弥陀様を枕に昼寝をしちゃいました。そこに帰ってきた蓮如上人。「あっ!俺の商売道具!」二人は大爆笑したそうです。奔放すぎやで!)
一休さんは形式やお金じゃない!
仏教はハートだぜ!っていいたかったのかもしれませんね。