子供のころ、みんなのうたでビュワーン、ビュワーン、は、し、るって歌がありましたが、まさにそれがこの0系新幹線です。
0系新幹線は試験運転で256キロ出たので歌では時速250キロとなっていましたが、実際は最高時速210キロでした。
1964年10月1日に東京ー新大阪でデビューし、各駅停車は特急こだま、東京ー名古屋ー京都ー新大阪と快速運転をするものが超特急ひかりを名乗りました。
当初の編成はひかり、こだま共に12両編成で、1等車(グリーン車)が7号車と8号車、半室ビュッフェが5号車と9号車、あとは2等車(普通車)で全車指定席でした。
1972年の岡山延伸から16両編成になり、こだまのみビュッフェのうち1両が売店車に変わりました。
現在京都鉄道博物館に展示されている車両が交通科学博物館に展示されていた当時、社内を撮影したので、車内の様子をお目にかけましょう。
こちらが2等車。3列・2列の5列の転換クロスシートで背もたれを前後にバタンバタンさせて進行方向向きにしました。
椅子の座面と背もたれの真ん中が紺色で縁取りがグレーでした。
グリーン車は黄土色の大柄なリクライニングシートがズラリ。
ビュッフェはこんな感じでカウンターと反対側の窓辺に回転椅子が並んでいました。
1968年に初めてひかり号に乗せてもらったとき、この回転椅子に座り、父にエビフライをごちになりました。
これが運転台です。
在来線の列車とはノッチ(車のアクセルみたいなもの)とブレーキの配置が左右逆なのが特徴です。
1975年の博多開業1年前の1974年からは食堂車が連結され、普通車の座席も簡易リクライニングシートに変わりました。
食堂車はこんな感じで、椅子はオレンジのほか、紺色の背もたれのものもありました。
食堂車はビストロをそのまま持ち込んだような帝国ホテル、グリル料理の得意な都ホテル、なぜか九州の郷土料理を看板にしていたビュッフェ東京、コロッケやエビフライなどの揚げ物が得意だった日本食堂の4社で運営していました。
簡易リクライニング化された座席がこちら。3人掛けシートは転換できず車体の中央で背中合わせの状態で固定されていたため、常に三分の一の座席が進行方向の逆を向くという変則的なものでした。
戦前から1960年代ぐらいまでの国鉄特急の変遷を10回にわたって紹介してきました。
今回紹介しなかったものはカラー写真が一般的になってきた時代の列車なので似而非カラーシリーズではないな…ということで割愛しました。