レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ  福寿生命保険

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こちらもとある方から頂いた戦前の絵葉書です。

かつて名古屋にあったとみられる福寿生命保険ビルです。

これも保険屋の本社ビルが絵葉書なんですよ。

1908年に名古屋に本社を持つ生命保険会社として発足。

1942年に明治生命に吸収されました。

現在は明治安田生命の名古屋地域のどこかの営業所になっているはずです。

建物のスタイルは昭和初期の銀行建築みたいです。

断面が四角い柱状のオーダーが幾何学的に並んでいるのが建物の特徴になっています。

アールデコっぽいですね。

近いイメージの建物があります。

横浜銀行協会の建物です。

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横浜銀行協会)

おそらく名古屋大空襲で焼けたと思われます。

残っていたら、GHQがまず喜んで接収したでしょうから。

古いカラー絵葉書から20  大同生命肥後橋ビル

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こちらもとある方から頂いた戦前の絵葉書です。

大阪市西区江戸堀の大同生命肥後橋ビルです。

駅とか観光地化した建造物ではなく、保険屋の本社ビルが絵葉書って珍しいパターンですよね。

契約者に配ってたのかなぁ?

ビル自体はなかなか凄いんですよ。

1925年竣工で、建築設計はヴォーリズ建築事務所です。

モーリス持てばスーパースターも夢じゃない!…とは関係ありません。

ヴォーリス建築の有名どころなら、東京お茶の水の作家缶詰施設?の山の上ホテルとか、京都の高級中華の東華菜館本店とか関西学院大学のキャンパス辺りですね。

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山の上ホテル

このビルは鉄筋コンクリート9階建ですが、当初の設計では10階建てでしたが、建設中に関東大震災が発生。

耐震性強化のため9階建に変更したってエピソードが残っています。

空襲にも燃えず、進駐軍の接収も何故かされなかった大同生命肥後橋ビル、戦後まもなく、1、2階を大阪そごうに貸し出したことも。

戦前、戦後の大阪を象徴する見事なオフィスビルでしたが、1990年に解体されて新しいビルに建て替えられました。

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(今の大同生命ビル。低層階が細い!地震が来たら、ポッキリ行きますって)

この新ビル、低層階より高層階の方が床面積が広くて、大袈裟に言えば地面に突き立てたガリガリ君なんですよ。

こんなスタイルはハッキリ言って地震に弱いです。

阪神淡路大震災を経験したのにこんなの建てちゃってもう。

大正末のビルに耐震化工事をして残した方が良かったのになぁ!

古い絵葉書と今の大同生命ビルを交互に見て、ため息をつくのでありました。

似而非カラーシリーズ 大正時代の絵葉書をカラー化してみる3 名古屋松坂屋

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こちらもとある方から頂いた戦前の絵葉書です。

名古屋松坂屋は1910年に栄でオープンして、1925年に現在地に移転しました。

この建物はその1925年新築のもの。

この真新しくて綺麗なビルが名古屋大空襲で骨組みを残して丸焼けになりました。

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(名古屋大空襲で焼けた街。こちらも白黒写真を似而非カラーシステムでカラー化してみました)

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(増改築を繰り返した現在の姿)

増改築を繰り返してますが、階段と踊り場の大理石にこの1925新築の部分が残っています。

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(増改築で残った1925年に出来た階段部分)

それと屋上。

関東地方から消えたデパート屋上遊園地がまだ残っています。

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(名古屋松坂屋デパート屋上遊園地

その意味でも貴重ですね。

古いカラー絵葉書から19 大正時代のモデル

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大正時代の謎の美人画

特にキャプションなし。落款の代わりに$とだけ入っている。

非常に不思議な作品です。

広告ではなさそうですが、滑稽新聞の中の写真にこの女性が写っていたような記憶がありますが、誰だか特定できませんでした。

たぶん大正時代にポスターなどで活躍したモデルさんみたいです。

似而非カラーシリーズ 古い絵葉書をカラー化する 戦前のソウル女性

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(元は白黒。似而非カラーシステム発動の結果、セピア色っぽい色調になりました)

最近、とある方から戦前の絵葉書を頂きました。

その頂いた絵葉書の中の美人画、パート3でございます。

今回は戦前のソウルで発行されたチマチョゴリ姿の若い韓国女性の絵葉書です。

なんとなく昔の中日のピッチャー星野仙一に顔が似ているような……。

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(こっちはキーセンです。ドラマのものですが。雰囲気がかなり違います)

キーセンにしては髪型も服装も地味です。

白無地でもないので、両班の家のお嬢様のようです。

だとしたら、日本の女子大に行ったような人かもしれません。1990年代前半の韓国には日本語の堪能なお爺さんお婆さんがよくいました。

まぁ、昔は韓国でお年寄りから日本語で話しかけられることはよくありました。

似而非カラーシリーズ 古い絵葉書をカラー化する GEISHA GIRL

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最近、とある方から戦前の絵葉書を頂きました。

その頂いた絵葉書の中の美人画、パート2でございます。

今回はGEISHA GIRL。つまり芸者。

キャプションなしで鼓や篠笛や三味線を持った日本髪の美女ならまず間違いないでしょう。

ウチの父は芸者遊びの経験はありますが、私はありません。

もう1970年代にはほとんど居なくなってましたから。

言ってみりゃ、パーティーにAKBをバンド付きで呼ぶようなモンでしょ?

お金がかかり過ぎますよね。

しかも私も含めて、小唄、端唄、都々逸なんて興味もなければ聞いたこともありません。

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(芸者の御座敷遊び。日本舞踊にトラトラト〜ラトラや藤八拳など特異なゲーム。分からん世界です)

芸者の御座敷は独特のゲームもあって面白かったとは聞きますがね。

そういう知識も芸もないけど、お酌してくれて、会話を楽しめて、安く呼べるパニオンことコンパニオンにとって変わられ、宴会の芸も古典芸能からカラオケや物真似やビンゴに変わっていきました。

そんなふうに衰退した芸者ですが一部地域ではまだまだ頑張っています。

筆頭は京都。

舞妓さんがいますね。

芸者が芸妓でその見習いが舞妓さん。

江戸では半玉と言いました。

松山や有馬温泉、新潟、金沢などもまだ頑張っているそうです。

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鹿鳴館。実は美しく着飾った貴婦人たちの何人かは芸者上がりだった)

衰退した芸者ですが明治の元勲の間では流行ったみたいですねェ。

明治大正期の政治家で奥さんがGEISHA GIRLだった方をリストアップしてみましょう。

こうなります。

伊藤博文原敬板垣退助犬養毅山県有朋陸奥宗光木戸孝允井上馨など

GEISHA GIRLは美人で社交的で話し上手でソツがないから元勲たちから歓迎されたわけです。

鹿鳴館の貴婦人たちも一皮剥けば、チントンシャン!…なんて珍しくもなかったようであります。

似而非カラーシリーズ 古い絵葉書をカラー化する 松竹無声映画「関の五本松」

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最近、とある方から戦前の絵葉書を頂きました。

以前から昭和レトロの乗り物や古い街並みが大好きって公言してました。

だからレトロ万華鏡でも昔の乗り物や街並みをメインに取り上げてきました。

しかし、頂いた絵葉書の中には美人画のようなこれまでとは雰囲気の違うレトロが含まれていました。

絵葉書への感謝の意味を込めてそれらをご紹介いたします。

まずは1924年10月17日公開の松竹サイレント映画 『関の五本松』です。

監督・脚本は牛原虚彦

原作は落合浪雄。

主演は梅村蓉子。

なんと、大正時代の無声映画

活動写真です。

白黒なだけでなく、弁士という講談師のような喋り方をする人がスクリーンの横で解説します。

「華の巴里か、倫敦か!」……なんてね。

本物を観たことなんか勿論ありゃしません。

私が生まれたときは既にカラーのトーキーでしたから。

古すぎて、主演と監督、脚本家がわかっただけで、ストーリーは判明しませんでした。

例えフィルムが出てきても無声映画ですからね。

弁士によっては話が微妙にずれることもあったでしょう。

ハッキリしているのは活動写真にもグッズがあったってことですね。

絵葉書は白黒ですが、似而非カラーシステムで着色しました。

上手く天然色のポスターに見えたらお慰み〜!