今回の似而非カラーシリーズは戦後日本のSL特急です。
戦時中は軍用列車優先で特急の運行はできず、戦後も輸送状況の悪さと進駐軍の列車を優先的に運行していたという状況から1947年には急行まで廃止になりました。
戦後の特急の復活は1949年9月の特急へいわ(東京ー大阪)からです。
当初は進駐軍の接収を逃れた車両や接収解除になった車両をかき集めたものでした。
1950年1月にそのへいわ号がつばめ号に改称しました。
またこの年の6月に同じ東京ー大阪に姉妹列車のはと号が登場しています。
東京ー大阪の所要時間はへいわ号以来9時間でしたが、10月になって8時間に短縮されました。
こちらがそのつばめ号の雄姿。
ヘッドマークは紺色だったはずですが、似而非カラーの精度ゆえにチョコレート色になってしまいました。
戦後の特急にふさわしい客車が作られたのは1951年。
三等車は戦前に特急櫻専用車として進行方向向けに2人掛けシートを並べたスハ33を近代化したスハ44形客車。
天井がちょっと赤くなってしまいました。
床には痰壺なんかあります。
二等車はリクライニングシートを並べたスロ60形。
ほぼ今のグリーン車です。
食堂車はマシ35
戦前の木の壁とはうってかわってベージュの軽快な感じになりました。
一等展望車の展望室。
展望車には和風と洋風のデザインがありましたが、和風は欧米人にはオリエンタル趣味としてウケましたが、日本人からは霊柩車みたいだと嫌がられたので主に洋風展望車が使われました。
展望車にはなんとキャビンアテンダントが乗務していました。
つばめ号のキャビンアテンダントは大阪車掌区所属のつばめガール、はと号は東京車掌区所属のはとガールと称していました。
当時の写真!?と思ったら、実はこれ1972年に日本国有鉄道百周年記念番組として作られた大いなる旅路というドラマのスチールでした。
助役さんが仮面ライダーのおやっさんだし、主役は大原麗子です。
大原麗子ははとガールで東海道本線沿線の病院で患者がはと号が通過するたびに手を振っていたのに対し、手を振り返していたエピソードをドラマ化していました。
昭和20年代後半の日本でこのつばめ・はとはまさに夢の列車でした。