レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

思い出のバラエティー番組(子供番組編)
昔は児童数、出生率が多かったせいか、子供向けワイドショーやバラエティー、着ぐるみ寸劇といった番組がありました。そんな懐かしの子供番組を振り返ってみましょう。
①おはようこどもショー

1965年11月8日から1980年9月28日まで日本テレビ系で毎週月曜日から日曜日の早朝(7時 - 8時頃)に放送されていました。意外と長寿番組でしたね。
平日放送分は1979年3月2日で終了。土日放送分だけが1980年まで続きました。
放送開始時はキューピーちゃんこと石川進とビンちゃんこと楠トシエが曜日毎に交代で司会をしてました。
石川進がキューピーちゃんなのはキューピー顔だったから。コレは当時三歳児だった私にもわかりました。でも楠トシエが何故ビンちゃんなのか、子供の頃謎でした。
謎は大人になって解けました。本名楠山 敏江で愛称が敏ちゃんだったんですね。
コレは分からんわなぁ!
楠トシエは1970年3月まで司会を続けて降板。4月からは天地総子お姉さんになりました。

天地総子         小鳩くるみ
 
天地総子お姉さんは1971年3月降板。4月からはアタックナンバーの鮎原こずえこと小鳩くるみお姉さんが一年間司会をしました。
キューピーちゃんはその間、小鳩くるみ降板まで曜日代わりの司会を続けていました。
さて、マスコットキャラといえばロバくんでしたが、そのロバくん、実は三人いました。ロバくん兄がのちに目暮警視やアド街ック天国で有名になった愛川欽也でしたがロバくん弟が、古代進富山敬マペットが目玉の親父の田の中勇でした。寸劇でロバくんと毎回やり合うガマ親分は星一徹の加藤 精三でした。
おはようこどもショーには体操のお兄さんもいて、それがなんと、ソガ隊員の阿知波 信介!!
エラく濃いメンバーですね。
でも視聴率は稼げなくて、タイトルはそのままでメイン司会者は1972年度から、終了までに鶴間えり(1972年4月〜1973年10月)、海老名みどり(1973年11月〜1975年6月)、関谷ますみ(1975年7月〜1977年9月)、大場久美子(1977年10月〜1979年2月)と変わっていきました。

鶴間エリ        海老名美どり    関屋ますみ
 
アニメコーナーができてアメリカンアニメのスーパースリーやUバードなどをやってました。確か、ディックトレイシーもあった気がします。
特撮コーナーもできて、レッドマンゴッドマングリーンマンなんてのをやってました。関谷ますみ以降の時代は中学に上がっていたんで、リアルタイムでみていなくて資料を当たってみただけですが、なんだかかなりカオスでしたね。

ホントは正義の味方ではなく怪獣密猟者だったって噂の「レッドマン
 

インパクトは今ひとつ「ゴッドマン
 

子供がピンポン押すと出てきてしまう「グリーンマン
 
あと、サンダー杉山がゴキブリのコスプレで、モグラ叩きみたいに穴から顔を出すのをこどもたちがピコピコハンマーで叩く「ゴキブリコンコンゲーム」なんてのをやってましたね。