4月に韓国の昔の旅客機を紹介しましたが、今回は日本の昔の旅客機を紹介しましょう。
DC-3
ダグラスDC-3は第2次世界大戦で米軍が軍用輸送機C-47スカイトレインとして大量に導入した双発レシプロ旅客機です。
初飛行は1935年。
日本航空(JAL)は1951年にGHQによる航空全面禁止が解かれて誕生しました。
その記念すべき第1号機はフィリピン航空からチャーターしたDC-3「金星号」でした。
尾翼にはフィリピンの国旗が描かれてますね。
このフィリピンからチャーターした第1号機は短期リースで、正式に導入されたのはそののち、日本国内航空が1955年と1959年に1機ずつハワイアン航空から購入した2機のほか、発足当時日ペリ航空を名乗った全日本空輸(ANA)が主力機として採用し、ANAは1964年に運航を終了。日本国内航空は1965年にフィリピンに売却し、DC-3は日本の空から姿を消したのでした。
DC-4
JALにとってDC-3は小さすぎたようです。その代わりにJALが自主運行のために購入したは一回り大きい4発レシプロ機のダグラスDC-4でした。
初飛行は1942年。
実はDC-4、戦時中に海軍が中島 G5N 陸上攻撃機深山開発のための資料として1機買っていました。
深山はB29並みの大型機でしたが、機体に不具合が見つかり、正式採用に至らなかった幻の攻撃機。
DC-4は敗戦後解体されてしまったのか、JALは海軍のお古を使えず、1952年に6機購入したのを皮切りに1958年までに合計11機導入しました。
1963年3月に運航を外れるまでJALの主力機として国内幹線や当時は米軍支配下にあって国際線扱いだった沖縄線に就航させていました。