似而非カラーシリーズ、昔の日本の旅客機パート2いってみましょうか!
DC-6
かつてダグラスDC-5というレシプロ旅客機がありました。
1939年初飛行。
インドネシアからオランダを追い出したとき戦利品で2機手に入れました。
輸送機として使いましたが、敗戦で廃棄。
日本の民間航空会社の手には渡りませんでした。
民間機としての実績はほぼKLMオランダ航空のみ。
じゃぁ、日本がDC-4に次いで導入したのは何かといいますと、DC-6でした。
1947年初飛行と完全なる戦後のレシプロエンジンプロペラ機です。
1954年にJALが羽田 - サンフランシスコの太平洋路線を開設する際に9機導入しました。
途中経由地はウェーキ島、ハワイで所要時間は31時間もかかりました。
巡航速度が450キロしか出ませんからねぇ。
スピードは現在のジェット機の半分です。
飛べる高度も低くて、ジェット機だと1万メートルぐらいまで上昇しますが、プロペラ機は概ね2万フィート(約6100メートル)です。
それだけに天候に左右されやすく、よく揺れました。
私はプロペラ機に乗った経験がないのですが、年配の方に聞くと、よく揺れて酔いやすかったそうです。
昭和30年代のJALの主力機で、映画のALWAYS三丁目の夕日にも登場しました。
退役は1969年3月30日。
晩年は貨物機や国内線を飛んでいました。
DC-7
ダグラスDC-7は1953年に運航を開始したマグダネルダグラス社最後のレシプロエンジン旅客機です。
JALはDC-6の後継機をジェット機のダグラスDC-8としていましたが、納品は1960年。
ショートリリーフとしてやむを得ず延べ5機を購入しました。
ところが欧米の航空会社には続々とジェット機が納入され、太平洋路線の利用者はジェット機を早々と導入したパンナムを選ぶのでJALは大打撃を受けました。
このDC-7はコンベアやDC-8が国内線に普及する1965年まで使われましたが、退役はDC-6より早かったのです。
DC-6より使い勝手が悪かったのかもしれませんね。