レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ  白黒映画のスチールをカラー化する14 黒い雨

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唐突ですが、キャンディーズのスーちゃん、お好きですか?

中学時代、憧れのマドンナでした。

高校入学の数日前が後楽園のファイナルカーニバル。

ええ。

勿論、行きましたとも。

スーちゃんには弟さんがいました。

歳は私と一緒。

なので私はスー姉さんとお呼びしてます。

本物の弟さんは、わずか19歳で骨肉腫により世を去ります。

スー姉さんは弟さんの看病を献身的にしてました。

「看病してくれるのは嬉しいけど、テレビに出ている姉ちゃんが見たい!」

あるとき言われた弟さんの一言で悩みました。

普通の女の子に戻ったんだ。

今更芸能界に興味はない。

でも……。

ミキちゃんの隣家は萩本欽一のウチ。

大胆にもスー姉さん萩本欽一さんに相談しました。

「弟さんのために芸能界に戻って一等賞取ろうよ!」

励まされて、スー姉さんは女優として復帰する決意を固めました。

スー姉さんの映画で代表的な映画が三本あります。

私はこれを三大スーちゃん映画と命名しました。

三大スーちゃん映画

1.土佐の一本釣り

男はつらいよで蘭ちゃんがマドンナだったときに同時上映された作品。

セーラー服姿のスー姉さんが超絶に可愛らしい!

2.0からの風

一人息子を酔っ払い運転のクルマに轢き殺された母親が立ち上がって、危険運転致死罪新設のため、奔走する話。

そして、

三つ目が今回紹介する「黒い雨」です。

1989年公開の今村昌平監督作品です。

原作は井伏鱒二の小説です。

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スー姉さん演じる高丸矢須子(20)は広島に原爆が落とされたとき、瀬戸内海で小舟に乗っていました。

そこに黒い雨。

幼い頃から矢須子を引き取って育てた叔父の閑間重松(北村和夫)は通勤途中の横川を走る電車の車内で被曝。

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頬に火傷を負ったが軽傷だった。

矢須子の母親代わりの閑間シゲ子(市原悦子)は爆心地ではない家屋の中にいたのでとりあえず無事。

矢須子と叔父夫婦は疎開することにした。

途中広島市街地を通るとそこは地獄。

瓦礫の山と黒こげ死体の山。

全身大火傷を負って、水を求める被曝者。

恐ろしい光景を目にしながら、三人は広島を脱出して疎開を果たす。

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5年後、矢須子は結婚適齢期に。

原爆症を発症してません。

元気です。

証明するために健康診断を受けて、医師の診断書を取ります。

でもお見合いはことごとく破談。

「被曝者」の三文字で相手にされないのです。

ただ一人、近所の雑貨屋の息子・岡崎屋悠一とはいい感じになりました。

普段は石像を彫って石工のようにしている心優しい男性。

しかし復員兵でPTSDを患っていました。

遠くからバスのエンジン音がすると、バスが米軍戦車に見えて、自分の枕が戦車地雷に見えるんです。

「敵襲!」

枕を抱えてバスに飛び込もうとします。

そこで雑貨屋女将であるお母さんが「作戦成功」と後から叫ぶと部屋に戻っちゃう。

優しくて石工でも雑貨屋でもやっていけそうな人なのにエンジンの音で戦場の記憶がフラッシュバックするわけです。

そうこうするうちに叔父の友人たちが相次いで原爆症で亡くなります。

みんな原爆投下後、広島に救助活動に行って二次被曝に遭った人たちでした。

健康診断してくれた医者の勧めでアロエを植えて、食べるようにしてます。

私は大丈夫!

ところが風呂上りのある日、髪の毛がごそっと抜けるんです。

恐ろしい光景を目にした叔母さん、ひと月後にポックリ逝きました。

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矢須子も身体がだんだん弱って自宅療養することになりました。

近所の池に叔父はよく釣りに行きます。

体調がいいとついていきます。

原爆症の恐怖でアタマがおかしくなったのでしょう。

巨大な鯉が高く跳ね回る幻覚を見て、矢須子は倒れてしまいます。

救急車で運ばれる矢須子。

後姿を雑貨屋の悠一が見守るところで終了。

病院で亡くなったか、一命をとりとめたかは語られません。

救いのない結末に今村昌平監督は最初、画竜点睛を欠くと考えました。

監督はスー姉さんにおばあさんのメイクをして巡礼衣装を着せて、広島を歩かせました。

矢須子は一命をとりとめ、巡礼をして、被曝者の霊を慰めました。

これが今村昌平監督のエンディングです。

でも、これって蛇足じゃない?

監督は悩みに悩んだ末に、自分が考えたカラーフィルムのエンディングをカットしました。

結果、原爆への深い悲しみと怒りをたたえた問題作として、日本アカデミー賞を受賞しました。

何故平成元年公開作が白黒?

コレはカラーで撮ったら、原爆を落とされて全身火傷を負った被曝者がスプラッターホラー映画みたいになって、ひたすらキモい。

それでは被曝者への哀悼の意や悲しみ、怒りを表現出来ません。

さらに舞台が1945年と1950年なので白黒映像で古く見せようって狙いもあったと思います。

ともあれ、スー姉さんはこの作品の演技を評価されて日本アカデミー賞主演女優賞を受賞!

文字通り一等賞取ったわけです。

弟さんへの供養となったことでしょう。