「ねぇ、ゾートクってなぁに?」
「何それ?」
「お〜と〜こだったぁら 一つに かけるぅ
かぁけて もつれたなぁ、ゾートク♪の『ゾートク』だよ」
「馬鹿だねェ、この子は。『掛けて縺れた謎を解く』だよー!」
ウチでのリアルな母と子の会話でした。
私ってお馬鹿!
今回の懐かしの時代劇ドラマは銭形平次です。
寅さんは渥美清!
平次は大川橋蔵!
子供の頃のジョージキでした。
(大川橋蔵演じる銭形平次。昔の東映時代劇映画では長谷川一夫の持ち役でした)
銭形平次は1966年5月4日から1984年4月4日まで888回放映されてます。
同一俳優同一主人公のドラマとしてギネス世界一に認定されています。
平次以外の残りのキャストは次のとおりでした。
女房のお静
香山美子のイメージがありますが、実は三代目。初代は八千草薫、二代目は鈴木紀子。
がらっぱちこと八五郎
林家珍平のイメージですが、当初は大村崑とミゼットのCMをやっていた佐々十郎でした。
平次のライバルで嫌味な三ノ輪の万七親分
遠藤太津朗のイメージですが、初期は藤尾純でした。
万七の子分御神楽の清吉
ずっと池信一でしたが、終わりの方になって、田井克幸になりました。
これでゲストは映画でお世話になった先輩や同僚が交代で来てくれました。
(原作者野村胡堂)
原作者は野村胡堂ですが、原作者自身が作っていた平次の四原則というものがあったそうです。
1. 侍、威張る権力者はやっつける。
2. 町人、農民など権利のない庶民の味方をいつもする。
3. 罰するだけが犯罪の解決ではない。
4. 明るく健康的な作品にする。
つまりは陰湿なイジメや差別はネタにしない。
犯人より被害者の方がうんと悪いヤツだったり、犯人が猛省していたら、奉行所に送って獄門台や八丈島にやらないように助けることもあり得るってことですね。
この点、大川橋蔵もいたく気に入っていたようです。
十手2本で戦うところ。
(十手2本で構える平次。武士より強い!)
その辺りは古武道に範を取ったため、スピーディーな感じでした。
東映も時代劇映画が斜陽産業になり始めていたので、映画はヤクザ路線に、時代劇はテレビでやる方針を固めて、この作品は試金石として力を入れていたようです。
結果、大ヒット。
息の長い作品になりました。
しかし、1980年代に入ってキー局だったフジテレビは番組刷新のため、打ち切りを東映に相談。
8チャンネルにちなんで888回を最終回とすることで合意しました。
番組終了8ヵ月後、大川橋蔵は結腸癌で 55歳で亡くなりました。