レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

似而非カラーシリーズ  白黒映画のスチールをカラー化する8 大いなる旅路

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ドンガラガッターン

雪の中を猛スピードで爆走したSLが轟音と共に転落!

ショッキングなシーンですよね。

小さい頃、白黒テレビの映画で観ました。

覚えているのはそのシーンだけ!

何て映画?

大人になってから、探しましたよ。

それらしい白黒映画、ありました。

三國連太郎主演

1960年封切り「大いなる旅路」

釣りバカのスーさんが脂の乗った37歳の中堅俳優だった時代の作品です。

大正末期、機関士登用試験に落ちて腐っていた盛岡の若き機関助士石見浩造。

先輩の橋本機関士が雪崩で機関車もろとも転落死する痛ましい事故に遭う。

事故をきっかけに石見は安全運転を心がける機関士を目指す。

機関士になってからは戦争、息子の戦死、娘の嫁入りを経験し、昭和30年代に定年を迎える。

一機関士の助士時代から定年までを追った機関士の一生の物語です。

監督は関川秀雄、脚色新藤兼人

SL転落事故場面まで日本国有鉄道全面協力の大作です。

姉妹作品に「大いなる爆進」がありますが、こちらはフルカラーの星の寝台特急ブルートレインさくら号の話です。

それにしても若い頃のスーさん、かっこいいね!

似而非カラーシリーズ  白黒映画のスチールをカラー化する7 多羅尾伴内

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「ある時は片目の運転手、またある時はアラブの大富豪……」

ピンクレディーか?ですって?

いいえ。

あの歌詞にはしっかり元ネタがあるんです。

七つの顔の男・多羅尾伴内

GHQが生んだような謎の変装探偵でした。

演じるのは片岡千恵蔵

活動写真こと無声映画の時代から活躍する大物タレントです。

何しろ時代劇六大スタアの一人です。

あとの五人は長谷川一夫大河内傳次郎嵐寛寿郎阪東妻三郎、市川歌右衛門です。

日本が太平洋戦争で大敗し、マッカーサー元帥が厚木に降りてきました。

GHQが作られてサンフランシスコ条約発効までの間、日本は米軍に占領され、オキュパイドジャパンでした。

占領軍はチャンバラ映画の撮影を禁止。

理由は軍国主義を想起させるから。

時代劇スタアも映画撮影スタッフも困りました。

片岡千恵蔵を抱えていた大映はなんとかしよう!

自分のところの大スタアに変装の得意な謎の探偵をやらせよう。

刀を禁止されたから、武器はピストルだ!

こうして七つの顔の男が生まれました。

荒唐無稽で演出がときどき変だって指摘もありました。

でもシンプルで痛快なストーリーが非常にウケて大ヒットしました。

シリーズで13作。

うち、大映4本、東映9本です。

全部大映で撮らなかったのは大映永田雅一社長と喧嘩したから。

多羅尾伴内シリーズは幕間の繋ぎ。今後大映ではより高い芸術作品を出します」

社長のコメントで片岡千恵蔵はぶち切れました。

好き好んで荒唐無稽な映画に出ているつもりはない。

興行的に成功したから大映の経営を考えてやってるのに幕間映画と馬鹿にして!

片岡千恵蔵東映に移籍して多羅尾伴内を撮り続けました。

サンフランシスコ条約締結後はチャンバラ映画も解禁。 

片岡千恵蔵も時代劇撮影を再開しました。

映画の遠山の金さんはそのあたりの作品ですね。

併せて撮影が進んだ東映多羅尾伴内は荒唐無稽で痛快な娯楽作品に特化していました。

多羅尾伴内大映時代から白黒映画でしたが、シリーズの最後の二作「十三の魔王」「七つの顔の男だせ」だけはカラー映画です。

東映多羅尾伴内のもう一つのお楽しみは脇役が面白いこと。

相棒の大沢警部はミラーマンの御手洗博士。

悪者は雷オヤジの進藤栄太郎。

脇役でデビューまもない高倉健さんや地獄大使やテレビ版初代水戸黄門がチラチラ。

片岡千恵蔵東映の重役でもありました。

多羅尾伴内終了後は映画会社経営の仕事がメインになりましたが、たまに時代劇に出てました。

覚えているのは「大岡越前」の大岡忠高

大岡忠相の親父さんで旗下の爺様。

弾けまくってる元気なじいちゃんが印象的でした。

似而非カラーシリーズ 白黒映画のスチールをカラー化する6 羅生門

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人間とは酷く自分勝手で自分に都合のいいように、虚飾する。

こんな時代を超えた普遍的テーマを取り上げたのは映画「羅生門

黒澤明監督作品です。

1950年代の白黒日本映画のスチールを検索すると黒澤映画がめっちゃ引っかかります。

てなわけで今回も黒澤映画です。

封切は1950年。

公開当初は難解で訳がわからないと大不評。

当然不発です。

制作、配給は大映

社長の永田雅一は訳のわからん映画を作りよって!とぶち切れ。

企画責任者がクビになりました。

ところが、海外に映画「羅生門」が紹介されると状況は一変しました。

1951年ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞。

第24回アカデミー賞外国語映画賞受賞。

大絶賛となりました。

原作は芥川龍之介の藪の中と羅生門です。

平安時代の京都。

雨の羅生門で旅の坊さんと薪売りが下男相手に妙な話を始めます。

一人の武士が殺されました。

検非違使に尋問されたのは泥棒の多襄丸(三船敏郎)、殺された武士の妻(京マチ子)、霊媒師に呼び出された武士の霊(森雅之)

三人どもてんでんバラバラな証言をします。

三人は保身の為嘘をついてました。

それが目撃者の坊さんと薪売りの証言で真実がバレるのです。

人間の醜いエゴを描くと共に心理ミステリー的要素も含んでますね。

似而非カラーシリーズ 白黒映画のスチールをカラー化する5 生きる

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「命短し、恋せよ乙女」

雪の夜、志村喬がブランコに乗って歌います。

今回の作品は黒澤明監督の名作の一つ、「生きる」です。

封切りは1952年。

東宝創立20周年記念映画で1954年には第4回ベルリン国際映画祭市政府特別賞を受賞しています。

志村喬が演じるのは市役所の無気力課長・渡邊勘治。

来る日も来る日も書類にハンコを押すだけ。

ある日渡辺課長、体の具合が悪いので病院に行きます。

そこで末期の胃癌にかかり余命いくばくもないことを知ってしまいます。

最初はショックで役所を欠勤し、やけくそでパチンコ屋やストリップ劇場やダンスホールで遊びまわります。

そんな中、市役所からおもちゃ工場に転職した若い女性・小田切とよに偶然巡り合います。

おもちゃ工場で生き生きと働く小田切

刺激を受ける渡辺課長。

まだ死ぬ前にできることがある。

住民から陳情を受けていた公園を造成します。

やくざからの脅迫を跳ね返し、頭の固い同僚や先輩を説得して。

公園が完成した日の晩、雪の中でブランコに乗って歌うのが「命短し」のゴンドラの歌です。

渡辺課長はブランコに乗ったまま果てました。

お通夜では住民がお焼香に来て、感謝の言葉を口々に述べます。

若い市役所職員は市役所のやり方を批判します。

お通夜の翌日、新しい課長が就任し、すぐやる課に変貌するかと思いきや、また怠惰なお役所仕事が続く。

そんなお役所仕事批判が盛り込まれた映画でした。

この作品の中であまり知られていない情報を一つ。

市役所からおもちゃ工場に転職した小田切とよは小田切みき(1930~2006)という脇役専門の女優さんなんですが、このかたチャコちゃんケンちゃんのチャコちゃんこと四方晴美のお母さんなんですよ。

チャコちゃんのお母さんは黒澤映画に出ていた。

え?そうなの?って感じですね。

嫌いな食べ物はお汁粉。

お汁粉を美味しそうに食べる場面があって、チャコちゃんママ、えらい苦労したそうです。

あと黒澤明監督作品ですが、看板男優の三船敏郎が出演していない唯一作品でもあります。

似而非カラーシリーズ 白黒映画のスチールをカラー化する4 七人の侍

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「大変だ!また野伏せりが攻めてきた!このままじゃ、村はおしまいだ!」

 今回の似而非カラーシリーズ、1954年封切の黒澤明監督の名作「七人の侍」のスチール写真をカラー化してみましょう。

 「野伏せり」?

 なにそれ!?って思いました?

 映画の中で農民たちは野武士軍団を何故か野伏せりと命名して恐れているんです。

 この作品は悪い野武士に略奪されまくっている村が用心棒に七人の浪人者を雇う。

 その七人の浪人が野武士軍団と対決する話です。

 まるで西部劇ですね。

 実際にジョンフォードの西部劇を戦国時代の日本に翻案した作品でした。

 名作だけにハリウッドで再度西部劇に翻案されています。

 そちらは1960年封切の「荒野の七人」です。

 「荒野の七人」はさらにリメイクされて「マグニフィセント・セブン」という作品となり、2016年に発表されています。

 雇われた浪人の頭は志村喬演じる島田勘兵衛。

 主役級の菊千代は三船敏郎です。

 菊千代なんてお殿様の幼名ですね。

 実は菊千代は戦禍で両親を失った農民の子供です。

 本名は忘れていて、盗んだ武士の家系図のとある武士の幼名をそのまま名乗ってしまったという次第。

 一番腕っ節が強く、大活躍します。

 最後、野武士の頭目を追い詰めたものの鉄砲で撃たれます。

 頭目を倒して自らも命を落とします。

 そのほか用心棒に雇われた武士として、岡本勝四郎(木村功)、片山五郎兵衛(稲葉義男)、七郎次(加東大介)、林田平八(千秋実)、久蔵(宮口精二)の五人がいました。

 黒澤明監督はリア王を戦国時代の話に翻案して「乱」を撮ってますね。

 戦国時代が好きだったのかなぁ。

似而非カラーシリーズ 白黒映画のスチールをカラー化する3 君の名は

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似而非カラーシリーズの白黒映画のスチール写真をカラー化する試み、今回は「君の名は」です。

私の世代ではなく、母の世代から上の人たちが見ていた映画ですね。

元々は1952年から1954年にかけてNHKのラジオドラマとして放送されていたものでしたが、放送中は銭湯の女湯がガラガラになると評判の作品でした。

あまりに人気があったため、3部作の映画になりました。

第1部は1953年9月封切り、第2部は同じ年の12月封切り、第3部は1954年4月封切りでした。

ラジオ版はヒロインの氏家真知子を阿里道子、相手役の後宮春樹を北沢彪が演じましたが、ここで紹介する映画版では真知子が岸恵子、春樹が大物俳優中井貴一のお父さんの佐田啓二でした。

岸恵子は1951年に「我が家は楽し」でデビューしていましたが、この「君の名は」で一気に大スター女優になりました。

第1部公開時に岸恵子は若干21歳でした。

あらすじは次の通り。

太平洋戦争の東京大空襲焼夷弾の雨の中、偶然一緒になった真知子と春樹は逃げ惑ううちに銀座の数寄屋橋にたどり着きます。

一夜明けて二人は名前も聞かないままもし無事なら、半年後、ダメなら1年後に数寄屋橋で再開しようと約束します。

半年後、一年後、お互いに会いに行きますが、行き違いで会えず。

一年半後やっと再開しますが、その時真知子は翌日が結婚式の身の上だったという男女のすれ違いをテーマにした作品でした。

よっぽど人気があったんですね。

1966年、1976年、1991年にはドラマ化されていて、そのうち1991年版はなんとNHKの朝の連ドラでした。

映画ALWAYS三丁目の夕日でも薬師丸ひろ子演じるお母さんそっくりのシーンをやってますね。

これは君の名はへのオマージュでしょう。

岸恵子がストールを頭巾のように巻き付ける「真知子巻き」は女性のファッションとして大流行しました。

これは実は北海道ロケがあまりに寒かったので私物のストールを頭に巻いていたら、それがかっこいいってことで映画本編で採用されてしまったのが始まりだそうです。

 

 

似而非カラーシリーズ 白黒映画のスチールをカラー化する2 雨月物語

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今回は1953年封切りの雨月物語です。

白黒映画時代の代表的なホラー映画です。

原作は上田秋成の「雨月物語

江戸時代の有名なホラー小説です。

その中の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編を一つにまとめて脚色しています。

「蛇性の婬」は無声映画時代の1921年に映画化されています。

今回紹介する雨月物語の監督は溝口健二です。

あらすじはこんな感じです。

時は戦国時代。

近江の農民兼陶工の源十郎(森雅之)は戦乱に乗じて義弟の藤兵衛(小沢栄)と共に焼き物を大量に作って一儲けしようと企てます。

家族がとりあえず食べられればいいと難色を示す源十郎の妻宮木(田中絹代)をしり目にドンドンと焼き物を作って売り、息子や妻に立派な着物を買ってやる。

しかし、戦が激しくなったため、一家で村を出ることにした。

その旅の途中で海賊に襲われた船とすれ違う。

不安になった源十郎は妻子を村に帰し、藤兵衛と二人で長浜に向かう。

長浜では持ってきた焼き物が高く売れて二人は大金を手にする。

藤兵衛は武士になることを切望していたため、分け前で武具を買って侍の集団に潜り込んでしまった。

一方源十郎は焼き物を買ってくれた人の中に若狭(京マチ子)という貴婦人がいて、ぜひともと乞われて屋敷に行き焼き物を焼く約束をする。

若狭とラブラブになった藤兵衛、若狭に着物を買ってやることにして店に行ったが持っているお金が微妙に足りない。

残りを支払うから若狭の家に取りに来てくれと頼むと、店の人は着物はやるから帰ってくれと言い捨てた。

戻る途中で坊さんに会った。

坊さんは死相が出ていると源十郎にいい、身体に護符を書き込んだ。

若狭のところに戻ると源十郎は村に帰ると告げた。

すると若狭は怖い死霊の姿を現し、源十郎に襲い掛かる。

しかし、護符の力で手を出すことはできなかった。

やっとの思いで若狭の屋敷を飛び出すと源十郎は気絶した。

気が付くとそこは廃墟だった。

慌てて村に帰ると村は焼かれており、妻宮木は柴田勝家軍に殺されていた。

霊となった宮木に会って金儲け主義を反省した藤十郎は焼き物にいそしんだのだった。

なにやら仏教説話的でちょっと説教臭い話ですね。