レトロ万華鏡

昭和レトロなものいっぱいのブログです。

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ⑧できるかな(1970)

でっきるっかな、でっきるっかな、ハテハテふふ〜ん♪

グヒョグヒョッ!

身長181cmの背が高くて、チューリップハットをかぶった男「のっぽさん(高見映)」が つまらなそうにしている着ぐるみのゴン太くんを慰めようと紙やセロテープを使って、即興でミニ工作をしてゴン太くんと遊ぶ。

後半はガムテープとダンボールで大物の遊び道具を作る……といったものでした。

放映期間は1970年4月8日から1990年3月6日まで。

なんと平成初頭まで続く幼児工作番組でした。

当初はゴーくん(原口剛)を中心とした5人のお兄さん・お姉さんが工作をする番組でした。

ところが、その前の「なにしてあそぼう」ののっぽさんの再登板を希望する視聴者の意見が多かったところから1971年4月からのっぽさんの番組になりました。

そのときゴン太くんは子どもが作ったっぽい動かない人形として登場。(=初代ゴン太)

1974年4月からゴン太くんが着ぐるみに変わって、ゴン太くん(=二代目ゴン太)とのっぽさんのパントマイムになりました。

ナレーションはおはようスパンクのつかせのりこが担当。

台詞は全てつかせのりこの担当に。

私はゴン太くんの声がつかせのりこだと思ってましたが、実はゴン太くんの声はグヒョグヒョッっていうクイーカなるブラジルの民族打楽器で出していた怪音の方でした。 1989年につかせのりこが亡くなり、ナレーションは大和田りつこに交代しました。

そして、最終回にあののっぽさんがお別れの挨拶と後続番組の紹介をして終わりました。

八犬伝天下御免同様この番組もビデオテープ使い回しで消されてしまい、NHKで保存しているのは1980年度の途中からだとか。

幼児番組の名作なのに、残念ですね。 単なる幼児番組ではなく、パントマイム劇としても秀逸だったのに!

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ⑦木馬座タイム ベーパック(1970)


ケロヨンと同じ劇団木馬座の着ぐるみ番組です。

ケロヨンの木馬座アワーが終わって三ヶ月ちょっと経って、テレビ東京(当時は東京12チャンネル)からのオファーで木馬座の着ぐるみ番組復活! 日テレと同じケロヨンは避けてベーパックとなりました。

パックはイギリスの悪戯者フェアリー。

それがアッカンベーをするのでベーパックとなったようです。

放映期間は1970年7月13日から1972年3月31日まで。月曜から金曜の夕方にやる15分の帯番組でした。

同じ時間帯の他番組との調整で番組改編の度に放映時間がちょっとずつずれてました。 ストーリーは毎回ベーパックが街の人たちにいたずらを仕掛ける。

で、捕まって、「ベーパックを○○の刑に処す」でお仕置きされる。たま〜にお仕置きされないことがあると、「クルッと回ってベー」と言って調子こいて終わりました。

私が覚えているのはいたずらの罰で頭にパトライトをつけられちゃう回。

ベーパックがいたずらをすると、パトライトが点滅して「ベーパック、ベーパック、パックはいたずらベーパック!ベーパックはいたずら者だ〜ポクポクポクポク」って音声が流れるんです。

カッコ悪いヨ〜助けて!って懇願して変な音声をウーウーウーってサイレンの音に変えてもらったって話でした。

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ⑥トッポジージョ(1967)

ネズミのキャラクターっていえば今では千葉県浦安市の某テーマパークのメインになっているアレしか浮かばないと思います。しかし、1960年代の日本ではもう一つ、人気のネズミのキャラクターがいました。 イタリアの人形劇のキャラクター「トッポジージョ」です。

トッポジージョ

原作はマリア・ペレーゴ (it:Maria Perego)。イタリア・ミラノ生まれのネズミの男の子が主人公の物語です。

イタリア語の元の名前はトーポ・ジージョ。

ロージィ

ガールフレンドはロージィです。

日本では、1966年8月22日からTBSの『おはよう・にっぽん』(月曜 - 金曜 8:00 - 9:00)で放送された後、同じTBSで1966年10月3日〜10月17日の月曜 20:00から20:56まで「トッポ・ジージョ・イン・ジャパン」として放映。さらに1967年3月7日から9月26日までの毎週火曜日の18:00から18:30までTBS系で単独番組「トッポ・ジージョ」として放映。 1967年10月9日から1968年1月29日までの毎週月曜日の19:00から19:30まで「チャオ!トッポ・ジージョ」として放映されました。

トッポジージョと大村崑

 

司会はおはようこどもショーの大村崑

トッポ・ジージョの声は山崎唯、ロージィの声は久里 千春でした。

なんとまぁ、夫婦でトッポジージョとロージィだったとは! 夫婦揃ってミュージシャンだったから、ミュージカルか音楽番組みたいなノリでトッポジージョが歌をよく歌っていた記憶があります。

後年SFアニメになったり、萩本欽一とカルピスのCMをやってましたね。

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ⑤ロンパールーム(1963)

ここまで来て、幼児番組界のは王道中の王道があったのを思い出しました。

歴代の先生が全員みどり先生だったロンパールームです。

ロンパールームのRomperは英語でやんちゃ、わんぱくの意味でロンパールームで子供部屋を示しています。

日本オリジナルではなく、アメリカのRomper Roomという子供番組を翻案した日本版だったのです。

にこちゃん、こまったちゃんというキャラが出てきましたが、これも元ネタはアメリカのオリジナル番組。にこちゃんはDo Bee(〜でいなさい)、こまったちゃんはDon't Bee(〜ではいけません)という人形。

beと蜂のBEEを掛け言葉にしていたからミツバチのキャラだったんです。

子供の頃、なんで蜂なのかさっぱりわかりませんでしたが、英語由来だったんですね。 放送期間は1963年10月7日 から1979年9月28日まで。

放送時間は1963年10月から1969年9月までは月〜土の11時20分から50分まで。1969年10月から1971年12月までは月〜土の11時15分 -から11時45分まで。 1972年1月から1975年9月までは月 〜 土曜の11時00分 - 11時30分まで。 1975年10月からは土曜日の放送がなくなり、1979年4月から最終回までは番組が5分短縮され、月〜金の11時00分 -から11時25分までとなりました。

歴代のみどり先生は次の通り。

初代:なみきみどり(1963年10月7日 - 1966年3月29日)

2代目:うつみみどり(1966年3月31日 - 1969年3月29日)

3代目:よしだみどり(1969年3月31日 - 1973年3月31日)

4代目:きしべみどり(1973年4月2日 - 1975年3月29日)

5代目:いのうえみどり(1975年3月31日 - 1978年3月30日)

6代目:やまみどり(1978年4月3日 - 1979年9月28日)

番組のコーナーは次の通り。

①にこちゃんとこまったちゃんを使ってお約束を守らせる教育のじかん

②しりとりとかブロック積みとかギャロップ木馬とかゲームやお遊戯みたいなことをやるあそびのじかん

③ お菓子と牛乳が出るおやつの時間

④絵本の朗読がある絵本のじかん

で、エンディングは鏡よ、鏡よ、鏡さん!みんなに会わせて下さいな。そ~っと会わせて下さいな…ってみどり先生が言うと鏡が枠だけになる。

そこでみどり先生が見ている子供に呼びかけるのでした。

としちゃんとかとしひでくんって最後まで言ってもらえませんでした。

おやつのコーナーは牛乳以外にココアもあった気がします。

その時間に合わせて私も牛乳やココアを母に用意してもらってました。

あと、伝説になってるのが、キ⭕️⭕️マ事件ですね。

しりとりでキが来ちゃった子が「キ⭕️⭕️マ!」って思いっきり言っちゃって。みどり先生がすかさず「もっと綺麗なもの!」ってすかさずフォローしたら、「綺麗なキ⭕️⭕️マ!」 で、しばらくお待ちくださいの表示が出たあと、子供がクマのぬいぐるみになったって話。

ホントかなぁ。でもさ、タイトルのロンパーはわんぱくでしょ?

クレヨンしんちゃんレベルのクソガキはいくらでもいたはずです。子供は下ネタ単語が好きですからね。

ウで始まるのは?って言われてウンチって叫ぶ子とかチで始まるのは?って言われてチ⭕️チ⭕️って言い出す子ぐらいいるでしょうに。

私はキ⭕️⭕️マって言った子、拍手してあげたいです。

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ④ママとあそぼう!ピンポンパン(1966)

NHKおかあさんといっしょですが、よっぽど活気的な番組だったようですね。

フジテレビが意識して民放版のおかあさんといっしょをつくってしまいました。

それがママとあそぼうピンポンパンです。

1966年10月3日 に放映開始、1982年3月31日に終了しました。

毎日やっていたのもおかあさんといっしょ並み。

ピンポンパンの名前はプッチーニ作曲のオペラ「トゥーランドット」の三人の大臣ピン・ポン・パンPing, Pong, Pangから採りました。

民放版おかあさんといっしょだけにおねえさんとおにいさんがシッカリ配置されていました。

歴代おねえさん

初代:渡辺直子(1966年 - 1971年)

2代目:石毛恭子(1971年- 1975年)

3代目:酒井ゆきえ(1975年- 1979年3月)

4代目:大野かおり(1979年 - 1981年)

5代目:井上佳子(1981年 - 1982年)

因みにおねえさんは全員フジテレビの若手女子アナでした。

歴代おにいさん

初代:佐久間俊直(1966年 - 1968年)

2代目:金森勢(1968年 - 1979年)

3代目:宮澤芳春(1979年10月 - 1982年3月)

おかあさんといっしょと違い、ピンポンパンにはおにいさん、おねえさん以外に司会者ともいえる人がいました。

しんぺいちゃんこと坂本新兵! しんぺいちゃんだけは放送開始から最終回まで毎回出てきました。

このしんぺいちゃんなんですが、幼年時代の私はうまく言えなくて、チンペイちゃんになっちゃいました。

その度に母から「え?野末陳平⁉︎」って突っ込まれました。

参ったね。

終わりの頃なら「チンペイちゃん?谷村新司か?」って突っ込まれたところです。

その他、サブキャラでガンちゃんとか、工作コーナーのわじまさんなんて方もいました。

マスコットキャラはカッパのカータン。

声と着ぐるみの中の人はキャプテンハーロックのヤッタラン副長こと大竹宏

他に毛虫のデベロンがいました。

こちらの声はギルモア博士の富田 耕生。

ダバダバダショーという人形劇もありました。 ダバダバダ三兄弟はモンピー(はせさん治 )、トンピー(富山敬)、ヤンピー(小原乃梨子)という面子。

悪役はドルキー・フォン・ドルシャック(大塚周夫)、賑やかしがキャッホ(田の中勇) マスコットや人形劇の声優さんの豪華メンバーに驚かされます。

内容はズンズンズンズンズンズンズンズンピンポンパポン♪のピンポンパン体操くらいしか思い出せませんが。

あと、ラストのおもちゃの木に仕込まれたおもちゃを番組に出た子がみんなもらえるヤツ、あれは羨ましかったです。

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ③おかあさんといっしょ(1959)


 1959年から現在まで日曜日以外毎日放送が続く超長寿幼児番組です。

当初はNHK総合テレビでやっていましたが、1997年に土曜日のみEテレに移行、1998年に月〜金もEテレに移行しました。

おかあさんといっしょといえば歌のお兄さん、歌のお姉さん、体操のお兄さんがいて、歌と体操と人形劇をやる幼稚園就園前の幼児を対象にした番組ってイメージですが、当初は違ってました。

1959年10月5日の番組開始時はなんと幼児番組ですらなく、親子で楽しむエンターテイメント番組で歌のお兄さんすらいませんでした。

時間も毎週月曜日13:40 から14:00で週一放送。レギュラーとしてジャズ歌手の旗照夫と女優の宮崎恭子、島田妙子の3名が交代で出演してました。

1960年9月からは月曜日から土曜日までの10:05 - 10:30、週6日の帯番組になりました。 放送内容は月火が人形劇のブーフーウー

水木はうたってあそんで、金曜日はいいものつくろ、土曜日はなかよしおばさんでちょっと幼児番組の片鱗が出てきました。

歌のお姉さんと体操のお兄さんはおかあさんといっしょではなく、姉妹番組の「うたのえほん」が月曜~土曜の8:30 - から8:40の10分間の独立番組としてスタートし、そちらに登場。

うたのえほんは1961年4月に開始。

初代体操のおにいさんドラえもん大山のぶ代のご主人の砂川 啓介でした。

うたのおねえさんは真理ヨシコ中野慶子の二人が隔週交代で担当。

NHKではこの二人を1・2代とカウントしているようで、次のお姉さんは3代目とされてます。

1963年10月からは二代目体操のお兄さん佐久間 俊直が参入し、体操のお兄さんは二人体制に。

1966年4月からはうたのえほんがおかあさんといっしょの一コーナーに吸収されて、ようやくおかあさんといっしょに歌のお姉さんと体操のお兄さんが出てくるようになりました。

1971年11月に初代うたのおにいさんとしてビューティフルサンデーの田中星児が登場しました。

そして、1976年4月にようやく歌・人形劇・体操の3つを3本柱にした今のスタイルが完成しました。

放送時間はこのとき、9:30 -から9:55になりました。

因みに昭和時代の歴代のうたのおねえさん、おにいさん、体操のおにいさんは次のとおりです。

うたのおねえさん 眞理ヨシコ(’61~’62) 中野慶子(’61~’64) 竹前文子(’62~’64) 中川順子(’64~’67) 片桐和子(’67~’70) 溝渕優美子(’67~’70) 斎藤昌子(’70~’72) 森晴美(’70~’71) 小鳩くるみ(’72~’74) 斎藤伸子(’74~’79) 松熊由紀(’74~’79) 奈々瀬ひとみ(’79~’81) しゅうさえこ(’81~’83) 森みゆき(’83~’87) 神崎ゆう子(’87~’93)

 

うたのおにいさん 田中星児(’71~’77) 水木一郎(’76~’79) たいらいさお(’77~’79) 宮内良(’79~’81) かしわ哲(‘81~’83) 林アキラ(‘81~’85) 坂田おさむ(’85~’93) 体操のおにいさん 砂川啓介(’61~’69) 佐久間俊直(’63~’67) 岡田祥造(’67~’69) 向井忠義(’69~’73) 小西幸男(’69~’71) 輪島直幸(’71~’78) 川原洋一郎(’73~’74) 瀬戸口清文(’74~’87) 天野勝弘(’87~’93)

この中でなんといっても目につくのはアニソン界のレジェンド、アニキの存在ですね。

思い出のバラエティー番組(子供番組編) ②木馬座アワー(1966)

ケ〜ロヨ〜ン!
緑色のカエルキャラクター「ケロヨン」が活躍する着ぐるみショーのタイトル、実はケロヨンではなく、1966年から1970年頃にかけて日本テレビ系で放映していた「木馬座アワー」でした。

クルマが大好きなカエル「ケロヨン」が主役。

原作は影絵作家藤城清治

司会は森あき子お姉さん。
アナグマさん、ネズミくん、モグラのモグちゃんと寸劇をしてました。

大体ケロヨンが調子こいて暴走し、トラブルを起こして怒られてました。
ケロヨンは大人の設定でしたね。
だって、クルマ運転するし、レース出るし、コーヒーも飲むし。
モグちゃんがケロヨンにコーヒーねだって一口味見して、「苦い!」って言うシーンもありました。
私はモグちゃんの中身、小柄な女性だと思ってました。母も。
ところがです。
最近になって中の人の正体を知って、ビックリ!
なんと!Jリーグベルディになる前の読売クラブで活躍し、今はサッカー解説者の松木安太郎ですよ!
サッカーやる前に木馬座で子役タレントしていて、モグちゃんの着ぐるみを着てたんですって。
ケロヨンは昭和40年代に大流行り。
余波を受けて、コルゲンコーワのカエル・コロちゃんまでケロヨンと呼ばれる始末。
悪役はいたずら好きの片目のタヌキ・ギロバチと子分のヒロイヤ。

悪役のギロバチ。「デデンパァ~、ギロギロバッチーン!」と言って登場。
後半はドボンにデボンにショボンのドデショという泥棒三人組が登場しました。
武道館でやったケロヨンカーニバルは幼稚園の時見に行きましたよ。
サインももらいました。
どっかいっちゃって無くなりましたが、今あればお宝でしたね。