似而非カラーシリーズ韓国編。
最後は1960年代のソウルの街角の写真をお届けしましょう。
最初は家の裏庭で遊ぶ子供。
プラ製のダンプカーを持ち込んでのお砂遊びです。
韓国では日本のようにブリキのクルマはあまり普及しなかったようです。
以前に聞いた話ですが、当時の韓国では日本のようなプレス技術が発達していなかったためプラスチック製のおもちゃが普及したのだとか。
クオリティーはあまり高くなく、しかも高かったそうです。
日本のほうがおもちゃのクオリティーが良かったようですね。
日本からの輸入はあまりなかったようです。
ものすごく高価になってしまうからなんでしょうね。
こちらは1969年のソウル・武橋洞の歓楽街。
クラウンビールとかオリオンビール1番地なんて文字が踊っていますね。ネオンサインがみんなオレンジ系になってしまいました。
青いネオンサインがなかったんですかねぇ。
よく見ると日系の銀行「三菱銀行」なんて看板もあります。
今の三菱UFJ銀行ですね。
1968年に撮影されたアイスクリームの箱を持って坂を降りる少年と水をくんだバケツを天秤棒で担いで坂を登る女性。
当時水道が完備していない街もあり、そういうところではこうやって水くみをしなくてはなりませんでした。
今でも韓国の人は水くみをしているって?
あ、それは薬水といって湧き水を汲むのです。
薬水は要はミネラルウォーターです。
安いインスタントコーヒーでも薬水で淹れて、カフェオーレにすると美味しいですよ。
1961年12月のソウルのとある街角。
練炭の灰のぬくもりで手を温める子どもたち。
私の知る限り1990年代の韓国にはオンドルの燃料として練炭を使うケースはまだ有りました。
ただ、練炭は一酸化炭素を発生しやすいので一酸化炭素中毒でなくなる方も少なくありませんでした。
当時の韓国の民間療法で練炭の一酸化炭素中毒で倒れた人には水キムチの水を飲ませると気付け薬になるというのがありました。
1968年の映画「絶壁」のワンシーンから。
おもちゃ屋の店先です。
三輪車や自転車がむき出しで無造作に並べられています。
ここまでの元の白黒写真はこちら→
韓国人「1960年代の韓国の様子をご覧ください」→「貧しくても希望があった時代」 : カイカイ反応通信
今度は1960年代のウェディングドレス専門店街。
たぶん阿峴洞でしょう。
ソウルのウェディングドレス専門店街っていうとまず阿峴洞ですから。
続いては1968年に撮影された氷屋さん。
当時は冷蔵庫がまだ一般的ではなかったため氷が重宝されていました。
日本だと1950年代の光景ですね。
この頃の韓国は冷蔵庫が普及していなくて、映画のALWAYSみたいに氷屋さんが大忙し!
もちろんキムチ冷蔵庫なんてありません。
1960年代の映画館。
上映されているのは「3人の新婦」という作品のようです。
1960年代のとある冬の光景。
漢江なのですが、川の水がカチンコチンに凍っています。
そこを自転車で渡るなんて今じゃできません。
1960年代の雨の日のブティック。
女の子が憧れの目で見ています。
ここまでの元ネタ写真はこちら→
1960年代の韓国、なにやら日本の1950年代みたいですね。