今や鬼籍に入ってしまった母も家内も、周囲を取り巻く人たちから、いつも「雑学博士」って言われてました。
「根菜博士」とは言われませんでした。
お弁当箱の歌みたいに穴の開いた蓮根や筋の通ったフキをみっちり詰めた弁当なんて食べませんでしたから。
じゃ、なんで雑学博士なの?って?
ふざけっこ大好きな単なるアホガキを豹変させた魔法のお薬は二つありました!
①学習雑誌「小学×年生」や科学と学習の欄外や別冊附録のトリビアネタ。
用法:片っ端から、覚えて、会話のつかみネタに利用する。
②TBSラジオ 全国こども電話相談室の適宜活用
ハイ、出ました。
本日のテーマ。
ラジオはHAPPYな友だちで〜す!
今回からTBSラジオ編、いきま〜す。
こども電話相談室を聴き始めたのもその頃でした。
学習雑誌の記事に出たんですよ。
君たちの質問に何でも答えちゃう「全国こども電話相談室」って。
放送時間も質問受付電話番号も。
私は小学校生活後半3年の4〜6年生の間、聴いてました。
番組自体は相当な長寿番組で、1964年7月にスタート。
1997年9月までは月曜から金曜まで夕方30分。
1997年10月から2008年9月までは日曜朝の1時間。
放送はTBSの女子アナの方が「電話のお姉さん」と称して司会進行担当。
電話の繋がったこどもの質問に答えるのはしょっちゅう出てくるレギュラーの先生とゲストの先生。
私の時は電話のお姉さんが藤田恒美アナウンサー。
レギュラー解答者は無着成恭先生となだいなだ先生でしたね。
(無着成恭先生)
(なだいなだ先生)
電話受付は番組開始3分後ぐらいから番組終了5分前くらいまでやっていました。
こどもからの電話は物凄い数、かかってきます。
ルールが一つありました。
奇数の日付けの日は電話番号の末尾が奇数の子、偶数の日付けの日は電話番号の末尾が偶数の子が電話をかける日っていう。
番組に出た子は番組の中でレギュラーとゲストの先生から解答がいただけます。
番組に出なかった子は放置プレイ?
それが違うんですよ!
放送終了の夜5時以降、先生が解答の電話を家にくれるの!
凄いサービスでしょ?
番組に出演した経験はあります。
でもそのとき、何を質問したか覚えていません。
ただ、質問と解答で四十数年経過して未だに覚えているのが二つだけあるんですよ。
Q①
蜃気楼はどうして出来るの?
A①
暖かい空気と冷たい空気が重なって、そこが空気の薄い膜になる。
それが映画のスクリーンみたいに遠くの景色が映って蜃気楼になるんだよ。
[小学生の俺、なんか可愛い。
お空に海や町がぽっかり浮かんでいるのが不思議でたまらなかったんですね!]
Q②
戦前の古い映画ってどうして動きがちょこまかしているんですか?
A②
戦後の映画は1秒間に24コマ、戦前の映画は1秒間に16コマ。1秒間当たりの写真の枚数が少なかったから、ちょこまかしてたのね。
[この解答、戦後のカメラは1秒間に24回シャッターを切って、フィルムをコマ送りするけど、戦前は16コマしか出来なかったって映画技術史の話とコマ落としって特殊技法の両方を子供向けに解説する凄い説明です!]
戦前映画は1秒間に16コマ!って教えてくれた先生、年配の女性でした。
(小森和子先生)
だって、たまに出てくるテレビの映画解説や森永小枝チョコレートのナレーションの声とそっくりなんですから!
あの時代、物真似芸人の片岡鶴太郎はまだいません!
そんなわけで、全国こども電話相談室は私には知性と教養の扉を開き、おばちゃまらしき人からナマでお話を伺える貴重な番組でした。
インターネットのない時代ならではの体験ですね!
今ならYahoo知恵袋の世界ですね。
実際、インターネットの普及に従って、質問がこどもの素朴な疑問系からこども向け人生相談っぽく変化したそうです。